その118 綜學的組織~個は全体の発展を担い、全体は個をもれなく生かす

漢方では身体と精神を分離しない。怒り過ぎると「肝」を、喜び過ぎると「心」を、思い込み過ぎると「脾」を、悲しみ過ぎると「肺」を、恐れ過ぎると「腎」を悪くすると述べましたが、このことは経験的に何となくお分かり頂けるものと思い […]

その117 天人合一と心身一如を基本精神とする綜醫學

第5章「綜學の実践」 ◇怒りには悲しみを、悲しみには喜びを、喜びには恐れを…ブレンドせよ◇ 前章は綜學の各論として、東洋思想や仏教思想を述べました。本章では、綜學の実践編をお伝えします。

その116 栄西の知名度は低いが、その綜學的性格に敬意を表す

鎌倉仏教開祖の中で、栄西の知名度は最下位と言えます。生前は、皇室を助け、二度も入宋し、宋皇帝を感動させ、幕府のある鎌倉には寿福寺を、天皇がお住まいの京都には建仁寺を持ち、日本仏教の振興に大いに力を尽くしたにも関わらず、法 […]

その115 鎌倉時代の栄西~60歳を超え、京都と鎌倉を精力的に往復!

二度の入宋を果たした栄西は、帰国後まず九州各地に寺を建て、その教えを伝えます。栄西による臨済禅が、九州の人々に広まりました。 しかし、急速に拡大すれば、必ず既存の勢力と摩擦が生じます。延暦寺の圧力によって、朝廷は禅宗の布 […]

その114 栄西47歳~隠居の年齢で一から学び直し、人生2段階の成長を果たす

もう一度宋に渡ろうという決意をしたのは、栄西の心の中に「このまま終わってなるものか!」という思いが湧き起こっていたからでしょう。栄西は44歳になっていました。昔は人生50年と言いましたから、もう新しい事を始められる年齢で […]

その113 堕落した比叡山に失望し、疑問を抱き、やがて新たな宗派を興す!

最澄が比叡山延暦寺を創建したのは、まだ平安時代初めの延暦7年(西暦788年)のことでした。延暦寺は、日本仏教の根本道場であり、都の鬼門を守る国家鎮護の大寺として建立されました。 ところが、どんな組織・団体にも“経年劣化” […]