その33 信長が本願寺と戦い、延暦寺を攻めた理由

◆織田信長の原点 織田信長の原大本徹についても、簡単に述べておきます。信長は内紛だらけの尾張に育ちました。弟を殺さなければ収拾が付かないほどの分裂状態にあったのです。その生い立ちが原点となって、統一への強固な意志を持つよ […]

その32 大化改新の仕掛け人は聖徳太子

さて、大化改新によって豪族による私地・私民が廃止され、国民には一定の田畑が支給されることになりました(班田収授)。豪族たちの既得権益を没収する、一種の共産主義的大改革を断行したのですから凄いことです。政治は中央集権的な体 […]

その31 大化の年号によって、日本の自立を内外に宣言!

さて、大化改新(西暦645年)とは一体何だったのでしょうか。一言で言えば、豪族連合政権による社会秩序を終わらせ、新たに中央集権的な社会秩序を始めるための誕生点でした。 豪族連合政権によって形成されていたのが、氏姓制度によ […]

その30 聖徳太子の徹底

聖徳太子の「徹底」で、まず挙げるべきは「憲法十七条」の制定です。その内容は、仕事の指針と臣下の心得でした。とにかく仲良く和して勤めるよう、懇切丁寧に諭しています。 それから「冠位十二階」の制度があります。これは、優秀な人 […]

その29 統一国家の建設に本氣となった聖徳太子

それから、もう一つの本氣が「統一国家の建設」です。豪族による私地・私民の奪い合い、蘇我氏と物部氏の対立による内乱、さらに崇峻天皇の暗殺によって、皇室の権威は地に落ちていました。 内外に危機を抱える中、太子は日本のミナカで […]

その28 大国の隋に対して、対等外交を行った聖徳太子の本氣

◆聖徳太子の大局 聖徳太子の当時、世界情勢を最も大局的に掴んでいたのは、ほかならぬ太子自身でした。大陸には、久し振りの統一王朝である隋が誕生しています。朝鮮半島では新羅が強くなり、高句麗は隋と対立状態にありました。