加えることよりも削ぐことのほうが重要なときがある

こんばんは。京都で催された会議を終えて浜松に帰りました。
東京では雪が降っているようですね。浜松は冷たい雨です。

●日記● 平成25年12月13日~18日

★☆岡山が本年最終講義

12月13日(金)、神戸の今啓林会(今井啓介会長)で「日本学」第7講を講義。この会は今年になってから、林塾のメンバーと大学生が増えてきた。林塾から上田塾士、布田塾士、佐藤塾員、大久保塾生が参加。

12月14日(土)、岡山のアイナリーホールで開催の「林英臣講座」で「幕末維新シリーズ」後編を講義。高杉晋作と伊藤博文を中心に話す。林塾から植田塾士、佐々木塾生が参加。

懇親会が大変充実していた。一人ひとりの感想と決意が素晴らしく、綜観の本年最終講義を飾って頂くに相応しい盛り上がりであった。

12月15日(日)、京都の綜學社研修所で大掃除。林塾の濱野塾員が一日手伝ってくれた。学生・青年メンバーが常に清掃してくれているが、一年最後の清掃だから自分の手で感謝を込めて行った。八坂神社にお参りし、神棚のお札の交換も済ませた。

★☆加えることよりも削ぐことのほうが重要なときがある

12月17日(火)、年末は大掃除が大変。そこでコラムを一つ。

捨てられない、手放せない。これを無くしたら淋しいし、本当に困る。

自分ではそう思っていても、人から見たら「それに拘(こだわ)っているから苦しいんだよ」ということが随分ある。

一つの事を完成へ向かわせるとき、最後に何を加えるかが課題になると思われがちだが、裏を返せば、どれを捨てるかが決め手になっているのである。

人生も、加えることよりも削ぐことのほうが重要なときがある。
一番やらなければならない天命に集中するため、何を残し、どれを捨てるか。

整理整頓は、いきなり新しいボックスを買うのではなく、まず要らない物を捨てることから始めなさいと。環境整備指南役の指導は、なかなか厳しいが的確である。

(追って)

・何かが足りない、ではなく、何かが捨て足りないと。
断捨離は文明交代期を乗り越えるための大事な心得だ。

・物もそうだが、地位や名誉、実績やキャリアなどを捨てられるかどうか。
名利や賞賛への我欲を薄められるかどうか。過去のプライドは本当に捨て難い。

・その点、サッカーのカズは見事だ。過去の栄光に囚われないで好きなサッカーを続けている。なかなか出来ないことであり、政治家なら国会議員を引退してから、平気で地方議員を務めているようなものだ。

★☆これまでの人生は、世間の無視に対する辛抱そのものであった

12月18日(水)、京都で会議。参加者と話しながら、自分の生き方を下記のように振り返った。

100年後には人類の常識になっているだろうが、今現在は“ユニークな考え方”という程度に片付けられてしまうのが、綜観(林)が30年間述べてきた「文明800年周期論」や「大和言葉の世界観」だ。これらは、アカデミズムの世界からは完全に無視されてきた。

西洋中心の学会では、到底相手に出来ない深さと大きさがあるのが根本原因だ。そして、これらの講義は、商業ベースには全くと言っていいほど乗らなかった。

綜観のこれまでの人生は、その世間の無視に対する辛抱そのものであった。しかし、広く相手にされなかった分、先覚者や未来のリーダー層の、識見と胆力の養成に役立ってきた。

同時代から拍手喝采を浴びるほど、反比例して未来に対する影響力が薄れていく。歴史を見ても、どこかで帳尻が合うように出来ていると思う。ならば不器用な綜観は、100年後の将来にこそ貢献する講師でありたい。潰しの利かない堅物で、何卒ご容赦を。

同時代の人たちから無視され、悪口を言われ、邪魔されても平気でいられる人間が我が同志なり。