今やれることをやり、それを将来の目標につなげていく

こんばんは。本号は、「松下幸之助に学んだこと」の特集号となりました。
「日記」が沢山ですので、「連載」は1回休みとさせて頂きます。

●日記● 平成26年9月3日~10日

★☆これは自分でやるしかないという業務を先手でこなしてこそ…

9月3日(水)、今日は一日デスクワーク。活動に関わる実務は、その殆どを関係者の皆さんにお任せしているが、自分のことは自分でやらねばならない。出張後の資料片付け、次の出張の講義準備、1年後のシリーズ講座の準備など、やるべき仕事はいくらでもある。

小生の場合、これは自分でやるしかないという業務を先手でこなしてこそ、大きい事業や将来の構想などを、落ち着いて練ることが出来るようになる。

◇細かい事に気付けてこそ、敵の意図を見破ることも出来る◇

細かい事に気付く。小さな事を疎(おろそ)かにしない。そういう人が、やがて大きな仕事を引き受けることになる。

織田信長は、小姓(こしょう、主君の側に仕える少年で、将来の幹部候補生)の教育に大変熱心で、気付きや気配りの大切さを教えた。

次のような話が、エピソードにあるという。信長は、わざと紙くずを落としておいてから「誰かある」と呼ぶ。すると、次の間に控えている小姓が「ははっ」とやって来る。紙くずに気付けるかどうかを試しているのだ。「もうよい」と言われて下がるときに、紙くずを拾えるなら合格。全然気付かなければ不合格となる。

信用は、小さな事の積み重ねで築かれていく。たった一個のミスで、製造業なら全品回収となり、食品なら営業停止、ひどければ廃業だ。

小さいミスを見逃す組織は、やがて大きな間違いを起こすかも知れない。
お互い、もっと小さい事に口うるさくなったほうがいい。
他人事だと思うから適当になってしまうのだ。
信長は、それが分かっていたのだろう。

細かい事にうるさい人のほうが信用出来ると、最近つくづく思う。
細かい事に気付けてこそ、敵の意図を見破ることも出来るのだ。

★☆原点があり、そこに戻ることが出来る幸せ

9月5日(金)、今日は松下政経塾設立35周年記念式に参加(メインは明日)。最初に、松下幸之助翁が自ら庭造りを指示された「真々庵」(京都市南禅寺草川町)を見学。

素晴らしい庭園を数枚写真に収めたが、「絶対に公開してはならない」という注意を受ける。景色は心に焼き付けるもので、写真撮影に囚われると、心には何も残らなくなってしまうというわけだろう。

真々庵には「根源社」という、大宇宙根源をお祭りした社がある。松下翁は、大宇宙と己が一体となるよう、いつも根源社でお祈りを捧げていた。根源社に参拝出来たことも、今日の大きな喜びであった。

夜は懇親会。締めの挨拶を求められ、次のように述べた。

「松下政経塾出身者には、大きく分けて陽のタイプと陰のタイプがある。陽のタイプは政治家となって活躍している人、陰のタイプはそれ以外の分野で地道に努力を重ねている人だ。

これまでは陽が目立っていたが、これからは陰がもっとがんばって、陰陽相和して松下政経塾を盛り上げねばならない。首相や大臣が出たからといって、松下政経塾の役割が終わったわけでは全然ない。我々が歴史的使命を果たしていくのは、むしろこれからである」。

かく言う林も陰の一人だ。松下塾生が直弟子なら、林塾から育っている塾士・塾員たちは、いわば松下幸之助塾長(塾主)の孫弟子である。いろいろな形で、松下翁の弟子たちが連係していくようになったらいいと思う。私は精一杯、その触媒役を全うしたい。

懇親会の途中で後輩(3期生)の一人が、「林先輩は、松下政経塾の精神的支柱です。どうか今後もブレないで、松下塾主から託された使命を果たして下さい」と励ましてくれた。素直に嬉しいねえ。

明日は和歌山に向かい、松下翁の墓参りをする。松下塾長に拾われて1期生となった私にとって、松下塾長という存在こそ、その後の活動の一切の原点だ。原点があり、そこに戻ることが出来る幸せを、しみじみ感じるところである。

★☆「松下政経塾の真のねらい」

9月6日(土)、今日は松下幸之助塾長(塾主)の墓参りと、松下政経塾35周年記念式(約70名が参加)。

今から35年前、松下塾長は1期生を相手に「政経塾の真のねらい」について語った。

曰く「諸君が塾生としてここで勉強するということは、一つは諸君自身のために、一つは全人類のために、それがこの政経塾の目標である」。そして「究極の目標である全人類の幸せということに挑戦しないといかん。見事にそれを達成しないといかん。これが塾に馳せ参じた諸君の尊い使命である」と。

松下塾長の時間軸は誠に長い。塾長は、バブル経済に突入するずっと前から日本の危機を予感され、日本を救え、世界を救えと一所懸命訴えてこられた。塾に対しても、常に100年先を見通して「日本と世界のあるべき姿」を構築するよう求められた。また政経塾は、これから50年、100年続けよと言われた。それから35年が経ち、首相、大臣、国会議員、県知事、市長、地方議員など、沢山の政治家が塾から輩出された。

だが、松下塾長の大志からすると、塾出身者は未だ富士山の麓(ふもと)近くを徘徊しているに過ぎない。日本と世界の危機は、益々深まってきた。本当に、このまま終わるわけにはいかない。塾長に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

★☆「長(おさ)、頭(かしら)となる者の心得」八箇条

9月7日(日)、京都・綜學社研修所でデスクワーク。昨日と一昨日、改めて松下幸之助翁から学んだところ、今朝、下記の内容が一気に湧き出てきた。

「長(おさ)、頭(かしら)となる者の心得」

一、無私であること

中心にいくほど我欲を捨て、誰よりも無私公欲となるのが日本的組織の基本形なり。無私の心は、愚直な生き方を導き、素直な心を生み、衆知を集める器となる。

やろうとすることが公の為であっても、単に「自分の世界(集まり)を作りたい、広めたい」という程度では、人物として高(たか)が知れているのである。
※中心力は全体に結ばれる↓

二、全体を見渡せること

人(人事)・物(場やシステム)・金(資金)を整えることをはじめ、組織に関わる一切を我が事として把握する全体観が欲しい。

トップとして人類の幸福を求めるときは「宇宙の中の地球」を、日本の繁栄と国民の幸福を願うときは「世界の中の日本」を、地域・会社・組織などを発展させたいときは「日本の中の我が地域、我が会社、我が組織」を、自分を成長させたいときは「宇宙、世界、日本、地域、会の中の自分」を意識しよう。
※全体を観られる器量が威厳を生む↓

三、対外的な威厳があること

対内的に支持されることは当然のことながら、対外的に威厳を発揮出来る存在感が無ければ、組織を力強く率いることは出来ない。それは高圧的に威張ることとは違う。一統を背負っている責任感(自覚)からくる威厳と貫目が、年輪のように養われているかどうかだ。
※威厳の元は深い原点認識にある↓

四、原点を認識していること

創業者の志や願い、組織の出発点、日本国の建国の精神などを認識し、それを腹に据えることで、ぶれたり、ずれたりしない「信念の軸」を確立しよう。
※原点から方向性が見えてくる↓

五、方向性やビジョンを示せること

来年は何をするのか、3年先・5年先にどうなっていたいのか、50年後・100年後にはどうありたいのか。それらを指し示す大志や、壮大な夢を掲げてこそ部下は熱くなれる。

人は苦労では潰れないが、苦労の意味(坂の上の一筋の雲)が分からなくなるとへこたれてしまう。方向性やビジョンは、裏返せば苦労の意味に他ならない。
※方向性を示して先頭に立つと共に、部下の横に寄り添う人情味が必要↓

六、部下や配下、弟子に対する人情味があること

部下が幸せなときは共に喜び、悔しいときは一緒に泣く。そうして、自分のことを気に掛けてくれているという、人情味を感じたときに士気は上がる。

人は自分を分かってくれる人に付いていくのだから、もっと下の者の努力に感謝し、苦労を思い遣り、労(ねぎら)いの言葉を掛けよう。気配りを、決して軽んじるようなことがあってはならない。
※但し、ただ誉めたり労ったりするだけでは、たちまちなめられる。人情が通じるのは厳しさがあってこそ↓

七、小さいことを見逃さず、細かいことを察する「気付きの力」があること

挨拶が出来ているか、返事の声がしっかり出ているか、掃除がきちんと行われているか。そういう小さいことをもっと気にし、細かいことに厳しくなるべきだ。それは、どうでもいいことにこだわっているのとは違う。

組織崩壊の致命傷は、最初は小さなことから生ずる。当たり前のことが定着するまで徹底し、そこから国風・社風・塾風などを起こそう。

そもそも理想があれば現状に不満を感じ、不満を感じたら黙っていられないのが、責任ある者の姿勢だ。(様子見が必要なときもあるが)摩擦を嫌って物言わぬというのは、優しさや思い遣りとは全然違うところの、ただの無責任ではないか。無関心で愛が足りないだけと言ってもいい。
※全ては言葉で進められていく↓

八、切れ味のいい言葉を出せること

いくら流暢な聞き易い言葉であっても、相手の心に突き刺さる威力が備わっていないようでは、折角(せっかく)の雄弁も、その場限りのものとなる。誰からも非難されないよう当たり障りのない言葉だけ選んでいたら、結局何も変えられぬではないか。もっと言葉を鋭利に磨ぎ、言葉に(いい意味での)カドを持とう(政治家は多少難しいだろうが…)。

甲さんに会ったら甲さんの耳に心地いいことを言い、乙さんの前では乙さんの気に入ることだけを言う。そういう丸さは、やがて人生を転ばせる(転落させる)元となってしまう。長や頭には、終始一貫、変わらぬ言霊が欲しいのだ。

付:以上が満たされているトップは滅多にいない(筆者の知る限りでは松下幸之助氏のみ)。足りないところは側近に任せ、参謀に託したらいい。何が出来ていなかったかに気付くだけでも、やがていい方向への変化が起こるに違いない。

★☆今日の役目を精一杯務めたと自負

9月8日(月)、昼間は四国中央立志会「社長セミナー」で「経営の神様は、こう語った」第9回の講義。夜は同「社員セミナー」で「年輪経営」第9回の講義。さらに終了後の懇親会で、幹部社員たちへのアドバイスをする。今日の役目を精一杯務めたと自負する。林塾から浜口卓也塾士が参加。

9月9日(火)、四国から浜松に戻り、東林志塾で「江戸日本学」第3回の講義。

なお、今年の遠州公開講座は11月9日(日)午後、浜松プレスタワーで開催予定。テーマは連続講座と同じ「江戸日本学」。1回にまとめて、日本再生の原点を存分に話す所存なり。

◇途中でやめる勇気、引き返す潔さが欲しい◇

ここまで頑張ったのだから、中途半端にやめたくない。皆に宣言した以上、後戻り出来ない。そういう気持ちはよく分かるが、面子に拘り、無理して続けたために、結局全てを失うことになってしまうとしたら、あまりにも悲惨だ。

この先、続けるかどうか悩むときは、それが本当に原点から始まっていた事かどうか、ぶれずに目的につながっている事かどうかを素直に考えてみよう。

諦める決断は身を切る辛さを伴うが、諦めは明らめでもある。
明るい方向へ転換するためにも、やめなければならないときがあるのだ。

★☆「なりきらんといかん」

9月10日(水)、半日休養、半日デスクワーク。
35年前に松下幸之助塾長から学んだことが、いろいろ思い出される。

松下政経塾の研修に、工場実習と販売実習があった。
松下幸之助塾長は言われた。「工場に行ったら、そこの工員になりきらんといかん。販売店に入ったら、そこの店員になりきらんといかん」。

この心得は選挙も同じだろう。その選挙戦の候補者になりきらんといかんと。
自分は、本当は国政レベルの選挙に立つべき人物だか、仕方なく今は地方選に出ているといった、本気さを欠く様子が滲み出てしまうとよくない。

そのイヤイヤ感が有権者に伝わり、候補者自身も小さな事に手を抜くようになって、悪い結果が起こることにもなる。

今は今やれることになりきる。それを将来の目標につなげていく。
それしかあるまい。