日本は生命体国家なり

こんばんは。今日は立夏でした。
明日は林塾の東北講座、明後日は関東講座です。
大局観の養成を目的に、文明800年周期論を講義します。

広島で憲法について話します。お誘い合わせの上、ご参加下さいませ。
平成27年度日本会議広島廿日市支部「時局講演会」
演題:『新しい憲法と日本の国是』
講師:林英臣
日時:平成27年6月21日(日)15:00~16:30
場所:廿日市市民活動センター2階大ホール
   廿日市市住吉2-2-16 電話0829ー32-3741
会費:1000円(18歳以下無料)

●日記● 平成27年5月5日~6日

★☆日本は生命体国家なり

5月5日(火)、昼間は孫にせがまれて、磐田市竜洋昆虫自然観察公園へ。夕方から「士道と学問」第七講の講義準備(話すのは年末頃)。

◆生命体には中心がある。それを神道ではイクタマ(生魂)という。

イクタマは、一つの生命体に一個存在する。
二個あったら、一つにはまとまらない。

イクタマは生命体をまとめ、生命体の各部位はイクタマを守っていく。まさにイクタマは生命維持の根元だ。イクタマがしっかりしていれば、生命を損ねることはない。

だが、どんなに強い生命体にも寿命がある。イクタマの統制力が解除されると、その個体は死を迎えることになる。

では、それで終わりなのかというとそうではない。イクタマは次世代に伝承されていく。個体は死んでも、連続体は絶えることが無いのであり、それをチスヂ(血筋)という。

この生命の仕組みを人間社会に応用すると、強くてしなやかな組織が生まれる。家であれば代々続く家系となり、企業であれば老舗となり、国家であれば窮まり無き国柄となるのだ。

日本は、中心が明らかで、タテイトの連続性があり、全体が大きな和となっている国なり。我が国は、まさしく生命体国家である。

日本には、世界の危機を救い、人類を幸福に導く使命がある。
その役割が果たされるのは、いよいよこれからだ。

★☆誰かに損をさせねば生き残れない~それが現実の経営か

5月6日(水)、昼間は所用で外出。夕方から執筆作業など。

◆公益経済を妨げるものがある。
それは、公益経営では儲からないという固定観念だ。

公益重視は理想だが、それでは厳しい経済戦争に勝てない。
客や取引先、社員・地域・環境などの、どれかの面に負担を掛け、誰かに損をさせねば、そもそも生き残れるものではないと。

整理するために、頭の中に縦軸と横軸を描いて頂きたい。
縦軸は、上に行くほど「高徳」になり、下にいくほど「低徳」になる。
高徳とは、縁ある人たちを幸せにし、地域・環境などを進化向上させる精神のことであり、低徳はその逆だ。

横軸は、右に行くほど「得」になり、左に行くほど「損」になる。得とは業績が上がって利益を出すことであり、損とは儲からない状態のことだ。

縦軸は高徳か低徳か、横軸は損か得かを示しており、そこにマスが4個出来る。右上は高徳で得、右下は低徳で得、左上は高徳で損、左下は低徳で損、という4マス(四元)である。

これに斜めの線を入れると、左上から右下にかけての斜めの線と、右上から左下にかけての斜めの線の2本が描ける(×印となる)。前者の線は、高徳だと損をし、低徳でなければ儲からないという、これまでの固定観念を示した線だ。

一方、後者の線は、公益経営の実際の姿を示していて、右上に向かうほど徳の高い経営を行うことになり、それによって業績が向上することを表す。反対に(左下に向かって)徳の低い経営をやってしまうと、最初は儲かったとしても、やがて巧くいかなくなる。何かに無理を掛け、誰かを犠牲にしているのだから、いずれ信用を無くし、最後に損をすることになるのである。

さて、公益経済は右上のマスだけではない。4マス左上の、高徳だが損をしているという人をも包み込んでいくのだ。

従来の経済統計(GDPなど)には、家族同士の世話や、仲間による助け合い、あるいはお裾分け・物々交換・自家消費などの実績は、基本的にカウントされてこなかった。しかし、経済統計に乗る活動が世の中の全てではない。むしろ、思い遣りや慈しみに基づく無償の行為によって社会は支えられてきたといっていい。

無償の行為は、良いことだが面倒、やるべきだが金にならない、出来るだけ自分はやりたくない、などと思われがちであった。欲望民主主義が、それに拍車を掛けた。市民に任せるべき助け合いに政治が介入し、御用聞きをやって、あれこれ世話を焼き、自立出来る人にまで手厚い保護を与えてしまったのだ。

その結果、このままでは財政破綻で国家が滅びてしまうというところまで行き着いてしまった。そこで、新しい経済指標の必要性が高まってきた。今まで見落とされてきた「高徳で公益性のある生産活動」を、ちゃんと数値で評価する指標の創造である。その指標がポイントとなって、一種の公益通貨(通価)となれば尚素晴らしい(知人の秀島誠一氏が「電子個性通価」を提唱されている)。

それがあれば、今まで人助けばかりし、端から犠牲者であると同情されてきた人に、一筋の光が当たるのではあるまいか。

そして、思い遣りを持ち、助け合い、譲り合う。喜ばれる喜びに生きる。そういうことが、もっと楽しくなる世の中になるものと思う。

但し、人を救うことは崇高な生き方であり、それを数値にカウントするのは却って次元を下げてしまう。だから、評価は不要という意見もある。それも尤もであるが、新しい指標が補助となり、やがて多くの人が高いレベルに到達すればいいことではないか。

こうして、4マスの左上も高徳で得(カウント)になるということになれば、公益経済は確固たる世の中の基本形に育っていくだろう。今日の低次元の闘争略奪型経済が終わり、今世紀中に物心両面の成長社会が訪れることを期待している。