借金が発展の原動力に…

こんばんは。今日は遠州公開講座で講義しました(浜松)。
雨の中お集まり下さった皆様、どうも有り難うございます。

●日記● 平成27年9月5日~6日

◆広島の啓蒙家・奥中正之先生から下記のメールを頂き、前号に書いたクワイ川鉄橋の話についてご教授下さいました。素晴らしい内容なので転載させて頂きます(9月5日付メール)。奥中先生、どうも有り難うございます。

(ここから)
林 英臣 先生 いつも「「林英臣の元気メール」を配信頂き有難うございます。

第879号に掲載されているクワイ川の鉄橋↓
「大東亜戦争当時、日本軍はインド方面への戦線拡大を目指し、タイのクワイ(クウェー)川に鉄橋を建設し鉄道を敷いた。その際、連合国の捕虜(多くが英国兵)が動員され、厳しい環境の中、マラリアや事故で多数の犠牲者が出た。やがて橋は完成し、日本軍と連合軍捕虜は、立場を超えて達成の喜びに浸ったという」

上記鉄道建設に従事した捕虜を収容していた、タイの捕虜収容所の第二代所長・中村鎮雄大佐は、広島文明維新塾(第13期)・塾生の一人、寺岡節さんのご祖父です。中村大佐は終戦後郷里に戻り平穏で幸せな日々を送って居られましたが、GHQから出頭命令がありました。

ご子息が「戦犯で裁かれることを懸念して、ご尊父に阿蘇山中に身を潜めるように」助言しますが、大佐は「国際法に従って厳正に捕虜を扱ったので罪を問われることはない」と言われて出頭されました。

出頭後、大佐は英軍の手に渡され、シンガポールの軍事法廷で英国の復讐裁判を受け、チャンギー刑務所で絞首台の露と消えられました。
中村大佐の辞世の句は、「敗戦のにゑと散りゆく我はまたただ立ち上がる國祈るのみ」です。
(詳しくは、「立ち上がる國祈る」中村達雄編 熊日出版)

私たちは多くの英霊の思いを胸に秘めて、祖国永遠の繁栄に寄与しなければと、改めて思う今日この頃です。

なお、寺岡節さんとは、日本会議広島の同志であり、憲法改正に向けて互いに頑張っております。
そのうちにまた、志が枯れない様に、先生のお話しを聴きに参ります。
(ここまで)

◆9月6日(日)、平成27年度遠州公開講座で講義。

単なる「松下村塾ごっこ」で終わるつもりはない!

今日は浜松で「吉田松陰と松下村塾」をテーマに講義。吉田松陰先生について講義するのは、おそらく100回を超えている。沢山話しているから楽かというと全然そうではない。話せば話すほど、プレッシャーが掛かってくるのだ。それは、「言ったからにはやらねばならぬ、やったからには成果を出さねばならぬ」という、実行と実績が問われてくるからだ。

若いうちは、講義の最後に「皆さん、今日の内容は如何でしたか。それぞれ松陰先生に学んでがんばりましょう」で締め括れば良かった。その程度で満足している自分がいた。

しかし、国難が日増しに高まってくる今、自己啓発レベルの内容を繰り返しているわけにはいかない。もともと熱血講義に努めてきたのではあるが、空理空論に終わらぬよう、なお一層の真剣さが必要な時代に入ったのである。

松陰先生を話す以上、本当にこの時代の高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文を育てなければ意味が無い。弟子から日本の命運を担う志士政治家や、世界を救う総理大臣を誕生させてこそ、講義が知行合一となるのである。でなければ、単なる「松下村塾ごっこ」に過ぎないではないかと。

今日は多くの皆さんに感動の涙を流して頂いた。だが、講義し終えて「満足した」という感覚は殆ど無い。私も来年は数え年60歳になる。もはや夢だけ語って自己満足出来るような年齢ではない。どれだけ実際に志士政治家を育てられたか。そこに一意邁進する覚悟である。 素志貫徹 拝

なお、山形から広島まで、全国各地よりご参加下さいました皆様に心から感謝御礼申し上げます(約130名が参集)。
林塾からは下記6名が参加。
伊藤央塾士(5期生、東京都小平市議)
上田光夫塾士(5期生、大阪府茨木市議、林塾塾頭)
山本貴史塾士(7期生、静岡県議・袋井選出)
水野岳男塾士(7期生、元愛知県各務原市議)
小澤隆塾士補(9期生、静岡県沼津市議)
源馬謙太郎塾士補(9期生、静岡8区で活動中、本日の司会担当)

●随筆●

◆借金が発展の原動力に…◆

ロックミュージシャンの矢沢永吉さんは、かつて側近社員に騙されて35億円の被害に遭った。何とその借金は6年で返し、音楽活動は益々盛んになった。矢沢さんのように、借金を活動のバネに換えた人は多い。

一方で、金銭的ゆとりが却って成長を阻んでいる場合も見かける。努力しなくても食べていけるから、生活に緊張感が無く、仕事に就いたとしても本氣になれないという状態だ。

正直に言えば、後者のような金銭的ゆとりのある人が羨ましい。何の心配も無く国事に奔走出来たらいいのにと何度も思ったことがある。

しかし、ゆとりなんて無いのだから、一所懸命講義しなければ食べていけなかった。で、どうせ講義するなら日本が良くなることを話し、それが自分流の国事となるよう意識してきた。

最初は全然上手くいかなかった。本当に言いたいことを講義すると、参加者が少なくなるという苦労があった。「熱過ぎます。あまりココロザシ、ココロザシ言わないで下さい」と文句も言われた。でも諦めることなく講義を続けるうちに、いくらか話し方も上手になり、各地のお世話役の皆さんのご支援によって少しずつ固定ファンが増えてきたのである。

矢沢さんほどでないのは当然だが、私にも少しは借金があって月々返済してきた。手を抜くことなく天職に努力していれば、お金は必ず後から付いてくるものと信じて地道にやってきたのである。金銭的なゆとりがないからこそ、講義に真剣さが加わり、日本改新の同志を増やすことが出来たのだと思う。
多謝御礼。

なお、余裕があって、なおかつ天下のために堂々と動いている人もいる。
そういう人は本当に素晴らしいと感服する。