人間関係の間合い~敵は作らず、味方を増やせ!

こんばんは。日中は蒸し暑くなりましたね。明日は孫の運動会があります。

◆本号の「日記」の小見出しです。内容は下記をご覧下さい。
☆仕事をやらないと、どんどんたまってしまう
☆国会綜學勉強会(通算20回目)
☆CGSスタジオ収録
☆九州政経倶楽部例会で講義、林塾からも8名が参加
☆博多からの帰りに京都・綜學社研修所へ

●日記● 平成27年5月21日~27日

◆仕事をやらないと、どんどんたまってしまう

5月21日(土)、孫を連れて実家に帰り、両親と話す。
祖父母と曾祖父母をお祭りしている仏壇に般若心経を上げ、菩提寺の龍頭院に墓参り。

5月22日(日)、孫を連れて浜松フルーツパークへ。
大きな恐竜や熱帯植物園を見物し、いろいろな滑り台で遊ぶ。そして、ペダルをこぐ究極のエコカーに1時間ほど乗る。排ガスはオナラのみで、歩きのほうが速いという“優れもの”。なぜかステアリングは後席に設置されていた。

二日間、庶務も進める。仕事をやらないと、どんどんたまってしまう。

◆5月24日(火)、東京で6月4日講演会の打ち合わせ。
午後6時から「国会綜學勉強会(宮下一郎筆頭世話人)」で講義。大和言葉の世界観から「アマ(宇宙時空論)」「ミナカ(中心論)」「クミ(タテヨコ組織論)」について話す。これで通算20回目。伊藤央塾士(林塾5期生)が同行。

◆5月25日(水)、神谷宗幣塾裕(林塾3期生)主宰のCGSに出演。
「縄文のコトダマ~大和言葉の秘密」を主題に、11本(1本約15分)をスタジオ収録。対話形式で面白かった。

◆5月26日(木)、九州政経倶楽部(毛利克彦支部長)例会で講義。
演題は「昭和の大思想家・松下幸之助は、こう語った!
~そのオーラに触れた1期生が語る、とっておきの話~。

林塾から下記メンバーが参加。
伊藤 央塾士(5期生、東京都小平市議)
冨安正直塾士(5期生、元福岡県苅田町議)
江口善明塾祐(6期生、福岡県議・久留米市選出)
森田俊文塾祐(6期生、福岡県那賀川町議)
何川雅彦塾士(7期生、熊本県上天草市議)
冨永正博塾祐(9期生、福岡市議・東区選出)

この他、赤司泰一氏(5期生、福岡県筑紫市議会議長)と倉掛賢裕氏(5期生、大分市議)の両名が懇親会から参加。

◆5月27日(金)、博多からの帰りに京都・綜學社研修所へ。
林塾の上田光夫塾頭(5期生、大阪府茨木市議)と会談。坪庭から玄関に吹き抜ける風が心地良い。庶務もはかどる。

●評論・随筆●

◆「覚悟と本氣」に生きるための学びを修めよ◆

明治の指導者らは、徳川の武士道教育を受けていた。だから明治は強かった。

戦後復興を担った者たちは、戦前の「日本回帰の教育」を学んでいた。だから昭和の指導者は骨太だった。

文明法則史学によれば、東西文明交代期の危機が一番激しくなるのは2025~2050年頃だという。いよいよ日本も世界も正念場に入る。

危機に立ち向かう志士たちは、明治や戦後の指導者に劣らぬよう「覚悟と本氣」に生きるための学びを、今のうちに修めておかねばならない。世界観や歴史観、国家観、死生観などが重要だ。こせこせ小さくまとまることなく、天下国家を我が事として、さらに大きく生きて欲しい。

※今、人間関係に悩んでいる人のために、考え方のヒントを書きました。

◆人間関係の間合い~敵は作らず、味方を増やせ!◆

成功の王道は、味方を増やすところにある。可能な限り敵を作らず、同志やファンを増やしていけば、成功は結果として向こうからやって来ると言っていい。

ところが、現実には、どうしようもない人間とも出会う。あまりにも自己中心的で私利にさとく、人を騙し嘘(うそ)を重ねるというレベルの低い輩がいる。それらは切らざるを得まい。

そういう相手を除けば、一人でも多くの味方を得られるよう貴重な精力を用いたい。争いの多い戦国時代ですら、敵を叩くことよりも、「如何にして味方を増やすか」に時間が費やされていたのだ。

それに、敵というものは、自分が作ってしまう場合が多い。こちらから切ってしまうと、敵を一人増やすことになるのである。

人を切らないためには、また相手から切られないためには、一体どうすればいいのか。一つの方法として「間合いを保つ」ということがある。「間合い」とは、相手との距離感だ。

間合いが近ければ、馴れ合いや、もたれ合いになる。相手に取り込まれる可能性が出てくるし、お互いの嫌な点が目に付くようにもなってしまう。逆に遠いと、気持ちが離れていき、共に動くことが出来なくなる。

人間関係の間合いは、相手の良いところを見ていられるくらいの距離が理想だ。そして、違いよりも重なる部分を大切にするのがいい。

間合いによって相手の良いところが素直に見えてきたら、相手の長所をどう生かすべきかを考えよう。その際、こちらの利、即ち「使えるか使えないか」といった私心で判断するのではなく、「天がこの人物をどう生かそうとしているのか」という視点に立つようにしたい。世の中全体を観ながら、その人を生かしていくのだ。

それから、「ケチを付けない」よう注意したい。これも「敵を作らず、味方を増やす」ための重要な心得だ。建設的な批評や、相手のためになる的を射た指摘ならともかく、単なる憂さ晴らしの批判(悪口)は、己の器を小さくするだけとなる。

しかし、間合いを一気に詰めて言わなければならないときがある。“こちらも怪我する”ことを承知で相手に密着し、諫言するなり救出するなりしなければならないときだ。そのときは、斬られることを恐れずに踏み込むしかあるまい。それによる絶縁は、覚悟の上というわけだ。

長く続く人物同士の付き合いというものは、「付かず離れず」という間合いがよかろう。取り込むことも、取り込まれることも無い距離間だ。そうすれば、金銭的にも感情的にも、依存関係に陥る心配が無い。しばらく疎遠にしていても、逢えばたちまち話が弾むという絆がある。そういう関係を「淡交(たんこう)」という。

兎に角、自分から切らないようにしたい。いつまた近い関係になるか分からないのが世の中だ。それに、相手も成長し進化する。いつまでも以前のままの、鼻持ちならない嫌な人間でいるとは限らない。

だから、仕方なく切るときでも、皮一枚は残したい。こちらが大人になって器を大きくすれば、出来ない芸当ではない。目的を大きいところに置いて、遠くを慮りながら相手の生かし所を考えてみようではないか。

私はこれまで、動けば動くほど敵を増やしてしまう人間を沢山見てきた。常に誰かを口撃して敵を作り、人から怨まれ、その念エネルギーをさらに攻撃力に変えては、ノーブレーキであっちへぶつかり、こっちへ突っ込み、満身創痍となっていく。そうして、身動きが取れなくなってしまうという人間だ。

あるいは、一見正義の味方のようだが、いつも文句ばかり口にしている者も多かった。文句の中に、的を射ている言葉もあるにはある。しかし、基本的には、幼児性が抜けないまま大人になってしまった人間だ。

本当に勿体ないことだと思うが、まさにそういう相手に対してこそ、間合いが大事ということになる。

なお、間合いや淡交は、人間をよく知った中年以上の実力者でないと、意味をなさない心得だという意見がある。これから基礎を作っていく若者の場合は、むしろ深い付き合いの中で一心同体となり、ガッチリ肩を組んで生涯の同志となる人物を見つけるべきではないかと。この点は、今目の前の相手に対して、淡交で接するべきなのか、“濃交”で向かうべきなのかを、よく見極めつつ臨んで頂きたい。

ところで、「人間は神と悪魔の中間に生きている」という。自分は善だからといって、悪が囁きかけてこないとは限らない。こちらが気を付けていても、絡んでくる敵が思わぬ所から現れ出てくることがある。謙虚にしていても妬んでくる人がいるし、良いことをしているはずなのに誰かが潰しにかかってくる。
それが世の中の実態でもある。

ならば、摩擦が起きるのは志士や活動家の宿命だ。そういう達観なり諦観が、多くの人を動かす立場に就くほど必要になると思う。

相手の攻撃が酷ければ、法的対応など必要な対応は取らなければいけない。が、打つべき手を打ったら、あとは天に任せて放っておくという余裕も養いたい。罰は天に任せるという余裕だ。

それにしても、敵ほど己を鍛えてくれる存在はない。敵は、広い意味で味方なり。そうであれば全てが味方となり、本来、敵なんていないということにもなる。そこまでいけば、聖人の領域だ。