公益では損をする? それとも得(徳)をする?

こんばんは。この頃、哲学思想を真剣に学ぼうとする若者が増えています。今までの価値観が通用しなくなってきたからでしょう。
そして、日本文化や東洋精神に関心を持ってくれるようになりました。
原点回帰が起こっています。やっと時代が追い付いてきました。

【ご案内】出版記念「遠州公開講座」6月26日(日)開場13時30分
『力を抜けば強くなる』~老子に学ぶ柔らかな生き方~
会場:浜松プレスタワー7Fミーティングルーム(定員150名)
参加費:3000円(学生無料)懇親会:5000円
お申込み→ enshu21@hayashi-hideomi.com
実行委員長:内田鉱二 0538・43・2855(代)

【ご案内】16日は名古屋、17日は神戸、18日は岡山で講義します。
☆政経倶楽部連合会・名古屋支部例会
6月16日(木)開場午後6時、開始6時半~8時45分終了
「大和言葉の世界観」第七講「ミナカ(中心)」
先に中心(理念を体現する社長)が存在して、後から全体(会社)が成立する
会場:ウインクあいち(名古屋駅桜通口から徒歩5分)。
会費:会員2000円 ビジター3000円
連絡先:名古屋支部幹事長 長岡さん携帯090・6461・1603
→ nagoya@seikei-club.jp

☆今啓林会(神戸)6月17日(金)午後6時半~9時
綜學講座「士道と学問」吉田松陰の師、山鹿素行が教える武士の素養
『聖教要録』下【第十二講】
「人物之生」…理と氣が反応して人間と万物が生まれる。
「易有太極」…太極には万物を創生する秩序が備わっている。
「道原」…天地自然の法則は簡明、これを難しく考えないこと。
まとめ(真止芽)
会場:神戸一宮神社 社務所  参加費:ビジター3000円
電話078・242・3399(今啓パール(株)今井啓介さん)

☆岡山セミナー 6月18日(土)午後6時~8時
会場:サン・クリニック アイナリーホール(岡山市中区中井248‐8)
綜學講座「士道と学問」吉田松陰の師、山鹿素行が教える武士の素養
『聖教要録』中【第七講】
「徳」…世の為・人の為、行動によって磨かれた人間力が徳。先天・後天あり。
「仁」…仁は相手を思い、尽くすところの真心。仁なくして勇氣起こらず。
「禮(礼)」…敬う心を形に表すことを礼という。礼は人間社会の潤滑油。
「誠」…そうせざるを得ない思いから来る知行合一を誠という。
参加費:5000円(1回)、全4回通しの場合は15000円
申込:電話086・275・9501(月~金 10:00~17:00)

●日記● 平成27年6月11日~14日

◆6月11日(土)、広島文明維新塾(荻村文規塾頭・脇貢司事務局長)で講義。
演題は「大和言葉の世界観」。前半90分間は、日本語の特徴と大和言葉について話す。後半90分間は、下記の内容を述べる。

アマ(宇宙と時空)~我々は全宇宙の中心に生きている→中今(ナカイマ)
ミナカ(中心)~中心力の及ぶ範囲を全体という。日本は中心にまとまる国
クミ(経緯と組織)~中心から伸びるものがタテ、その関連をヨコという
ムスヒ(造化)~宇宙の本性は活動にあり、活動は陰陽二神の働きによる

毎回家族揃って大変熱心にご参加下さる小川優子さんが、フェイスブックに感想を投稿して下さいました。どうも有り難うございます。

(小川優子さんの文はここから)
本日は、広島文明維新塾 、林 英臣先生による「大和言葉とコトダマ(言霊)をテーマの勉強会に参加させて頂きました。どれだけの日本人が、大和言葉!一文字一文字に強く込められた言葉の意味を分かってるのでしょうか?

という私も、林先生のご講義を拝聴させて頂き深い感動とともに学ばせて頂いたのですが^^;

日本人としての誇り、人は何のために生まれ、何故、どう生きてゆけばよいか、、、その答えが、大和言葉で解く神話が示して下さってるんですね~
今!中今をどう生きるかで過去の意味は変えることができ、未来に向けて必要なものは全部ここにある今となる!凄く腑に落ちました(≧∇≦)
私の人生のテーマ「繋がる」という言葉も飛び交ってました。

会社経営の面からも、中心から派生するエネルギーを社員、お客様に繋げてゆく、そんな作業を言葉の持つ壮大な力と共に進めていきたいと思います。林先生、本当に有難うございました。お世話下さった皆様、共に学ばせて頂いた皆様に感謝申し上げますm(_ _)m
(ここまで)

林塾から下記2名が参加。
荻村文規塾士(8期生、元広島県廿日市市議)
瀬木寛親塾生(11期生、広島県廿日市市で活動中)

◆6月14日(火)、浜松・東林志塾(日内地孝夫塾頭)例会で講義
綜學講座『聖教要録』の第十一講として下記の内容を話す。
「心」…性と情が合わさって人の心となる。
「意情」…性と心は本体、意と情は作用。
「志氣思慮」…氣によって志が果たされる。深い思慮で意と情が審らかになる。

今回の内容は、“哲学脳”が鍛えられていないと、付いてくるのが大変な箇所もあった。「難しかった」という感想がある一方で、非常に高い反応を示してくれる若者たちがいる。懇親会でも「一生忘れられない言葉を貰った」という感想を頂いた。

なお、東林志塾の花井和夫塾生が浜松市議会議長、飯田末夫塾生が浜松市議会副議長に就任した。また、草地博昭塾生は磐田市議会議員として活躍している。

●評論・随筆●

◆公益では損をする? それとも得(徳)をする?◆

燃費データ不正問題で、三菱の自動車販売会社が大打撃を被った。客から連日、罵詈雑言(ばりぞうごん、これ以上無い酷い文句)を浴びせ掛けられ、身動きの取れなくなった店もあることだろう。

ところが、東北の某販売株式会社は違う。顧客からの電話は、お見舞いと励ましが殆どだという。なんと「今こそ自動車を買います」という電話も多いとのこと。

この会社は、社長以下幹部社員らが、長年に渡って「立志セミナー」に参加してくれている。講義を聞く社員たちの座り姿が実に立派で、学ぶことへの真剣さが凄い。

国家も会社も、倒れるときは内と外の両方に問題がある。大木と同じで、内が腐っているところへ外から圧力が加わると、あっけなく倒れてしまう。

売り上げを焦る前に、会社の内部を鍛えよ、社員の人間力を高めよ。挨拶と礼儀で一番になれ、などと私は話してきた。社長は、この教えをしっかり守って、顧客満足度の抜群に高い会社を創ってきたのである。

この会社のように、お客様に喜ばれ地域に貢献し、公益に努力を重ねたならば、結果は必ず付いてくるものだ。私利私欲中心で儲けても、決して魂までは喜べない。危機のときほど社員と客が去っていき、あっけなく崩壊するような経営では本当に情けないではないか。

公益では損をする。私中心でなければ利益は生まれない。そういう固定観念から脱して、公益で得をする生き方に一日も早く目覚めよう! 得は徳なり。まず我が社から、我が故郷から、そして、この自分から意識レベルを上昇させるのだ。大丈夫、仲間はいっぱいいる。日本には、世界を救う天運がある!

◆こういう人たちのために講義講演を続けたい◆

心の深いところが満たされない。もやもやした不安感がある。

なぜだろう、私の中に今、何かを探し求めている前向きな自分と、何とも言えない空しさに覆われた自分が同居している。

私は何者なのか、どこから来たのか。そもそも何をするために生きているのか。

私は、どういう国に生まれたのか。私の国に役割はあるのか、あるなら何なのか。

人間とは、宇宙とは。宇宙と人間の関係とは。

現代文明の発達と共に、人間は冷淡になった。感激や感動を失った。つながりや絆が希薄になった。

今こそ、本来の自分を取り戻したい。取り戻して、思う存分、天命に生きたい。

自分にしか出来ないこと、命を賭けて惜しくないこと、そして宇宙の進化と人類の平和に役立つことがしたい。

そういう人たちのために、これからも講義講演を続けよう。一講入魂。

◆未来も過去も全て今!?◆

「3年先には必ずこうなっていよう」と固い決断を下し、着実に実行している人にとって、3年先は既に“過去”となっている。

その人にとっての未来は、それよりもっと先ということになる。

ぐいぐいと未来を引き寄せ、物事を見事に実現させていく人には、この「未来を過去にしてしまう」という「意識の力」が備わっている。

要するに、「今」が大きい。未来を過去に変えてしまうほど今が大きいのだ。

さらに、過去を積極的に生かしてしまうということにおいても今が大きい。過去の事実は変えられないが、意味はどこまでも価値あるものに変えられる。過去を生かすとは、過去を価値あるものに肯定し、その意味を高めていく作業に他ならない。

そうして、未来にも過去にも今を広げているのが、志士人物の意識の特徴である。

その意識を、大和言葉で「中今(なかいま)」という。中今は、今が真ん中の世、今が全ての中心という意味の古語なり。

未来も過去も全て今。今というこの時点に一切が集約されている。それが大宇宙の真理であり、大宇宙を中今に生きられるところに人間の尊厳があるのだ。

「実際には、やってみなければ分からない」と言われるかも知れないが、幾多の困難を乗り越えて天命を果たす人には、中今の精神が必ず宿されているものである。

◆心を耕す◆

講義や講演によって、人の心を耕していく。
一人ひとり、そこに素志となる種をまいてもらう。

やがて立志の芽が出てきて、人生の根も張られる。
日照りや豪雨を乗り越えて、いい作物が育ってきた。

私は、ただ手助けをしているだけ…。
日本の風土は、志士英傑を育てるのに一番の土壌なり。
有り難い、本当に有り難いと思う。

◆求めて、やっと手に入れたときの喜びが大切◆

先日の講演会で、「求めるとはどういうことですか?」という質問を頂いた(6月4日の講演会終了後)。

「求めよ、さらば与えられん」(新約聖書「マタイ伝」)というイエスの教えの通り、強く求めることは大切である。

漢字の「求」には、「皮衣」という意味がある。高級品である皮衣は、強く願わなければ手に入らない。「求」は、「本氣で手に入れようとする」ことを表しているのだ。

大和言葉では、「も」は藻・茂・物・百(もも)・森・盛るのモで、微細なものの集合を表している。「と」は止まる・留まるのトなり。「もと」は、微細なものが集まった基点にあたるところや、小さい事を積み重ねた基本的状態を意味しているのだ。

「もとめる」は、それが動詞になったものだから、願いを重ね、小さな努力を積んでいくのが、「求める」ということの意味となる。

文明が発達し、簡単に手に入る物が多くなった。我慢し、諦めないでこつこつ努力するということが少なくなった。

ナビがあるから、自分で道を探したり、推測したりしなくてよい。ネットを開けば、調べたいことがすぐ分かってしまう。

そういう今日こそ、求めてやっと手に入れたときの喜びが大切なのではあるまいか。「求める」ということの素晴らしさを、何とかして取り戻したいものだと思う。

◆吉田松陰先生 辞世の句◆

「愚かなる吾をも友とめづ人はわがとも友(ども)とめでよ人々」(留魂録)

(意訳)愚かな私を友人として愛して下さるならば、私の友人たちも愛してやって下さい。

友人たちとは、松陰先生の弟子たちのことなり。彼らは、この師匠の辞世の句にどれほど魂を揺さぶられたことであろうか。

師や先輩は、先にこの世を去る。残せるのは、後輩や弟子たちを発憤興起させる生き様と言霊のみ。後を託せる国柄の有り難さを思う。