「忠臣蔵」に涙を流す間は、日本は大丈夫

こんにちは。今年は台風の日本列島への影響が大きいですね。
明日は岐阜の「東海こころざし研究会」、明後日は駒ヶ根の「伊那谷文明維新塾」で講義します。詳細はメルマガ前号、またはホームページをご覧下さいませ。

◆小学一年生の孫が空手を始めました。キッズクラスです。

付き添いのヂイヂも誘われて、“敬老コース”に入門することになりました。蹴りは足が上がらず、動きもあまり俊敏ではありませんが、孫の隣で稽古に励もうと思います。

●評論・随筆●

◆「忠臣蔵」に涙を流す間は、日本は大丈夫◆

目的を完遂させるためには、何が何でもやり抜くという意志を、一切ブレないで最後まで貫き通す人物が組織内に必要となる。

赤穂義士の討ち入りの場合、堀部安兵衛(やすべえ、やすびょうえ)が、その代表格であった。彼は、仇討ち決行の最右翼に立っていたのだ。

安兵衛は義父に認められて堀部家の養子に入った傑物で、武士の生き様を全うしようとする意気込みにおいて誰にも負けなかった。義父の弥兵衛もまた、血気において若者たちに少しも劣らぬ豪傑だった。

安兵衛としては、討ち入りが成功するかどうかは二の次である。早く仇討ちを決行し、天下に武名を轟かせたかったのだ。

この堀部安兵衛の、上司にあたるのが大石内蔵助だ。家老の内蔵助は、安兵衛のような単純な考え方を採れる立場にはいない。家老がトップに立って決起する以上、必ず勝利しなければ、赤穂藩と赤穂武士の恥となってしまう。

内蔵助には二つの選択肢があった。一つは、亡き主君の浅野内匠頭の弟、浅野大学を新しい藩主に迎えて浅野家を再興する道。大名として浅野家が存続することになり、何らかの処罰が吉良上野介に下されるのなら、赤穂武士の面目が立つ。

ところが、浅野家再興の道は絶たれてしまう。となると、残された道は仇討ちしかない。

内蔵助は兵法の教えに従って、周到に準備を進めた。吉良邸の内部を調べ、吉良上野介の動向を確認し、武器を調え、これなら討ち入りは成功するというところまで用意してから仇討ちを決行したのである。

実は安兵衛は、内蔵助の態度を疑っていた。なかなか討ち入りの決断をせず、決断してからも日延べを繰り返すことに疑問を抱いてしまったのだ。一本気な安兵衛には、内蔵助の真意が理解し難かったのだろう。

しかし、安兵衛の決して変節しない根性を、内蔵助は心から頼りにしていたに違いない。安兵衛がいることによって、内蔵助は過激派を抑えるほうに回ることが出来たのだ。

この点は、組織の熱意醸成にとって極めて重要な意味がある。動きたくて居ても立ってもいられない若者たちと、その覇気を全体から調整する大人がいると、組織におけるアクセルとブレーキのバランスが良くなるのだ。

安兵衛は、内蔵助の指示、言い換えれば組織全体の動きに素直に従った。ともかく、そうして決起派が育ち、四十七士が心を一つにして討ち入りを果たせたのである。

さて、林塾の弟子たちに、安兵衛のような過激派がどれくらいいるだろうかと振り返ってみた。次々顔が浮かんでくる。安兵衛が多過ぎて心配になるくらいだ。でも、安兵衛ばかりではない。内蔵助タイプも、ちゃんといる。

浅野内匠頭が殿中で吉良上野介に斬りかかったというのは、たとえ興奮しての出来事であったとしても単なる争い事とはわけが違う。藩主が刀を抜いたのだ。そして浅野は即日切腹、吉良はお咎め無しで温情をかけられてもいる。これでは、武士の一分が立たぬ。そのまま主君の無念を晴らすこともなく生き長らえることは、忠義の家臣であれば到底我慢ならないことであったろう。

日本人が「忠臣蔵」に涙を流す間は、日本は大丈夫だと思う。安兵衛や内蔵助の生き方を全然理解出来ないという日が来ないことを祈りつつ、年末には広島で「忠臣蔵」を講義する所存である。乞うご期待。