衆知もミナカに集めなければ意味をなさない

こんにちは。一気に冬になったような気候ですね。

今日は岐阜、明日は駒ヶ根(長野県伊那谷)で講義します。また7日(月)は、西宮青年会議所(兵庫県)で「日本の原点」について話します。さらに8日(火)は東林志塾(浜松)、9日(水)10日(木)は林塾・拡大例会の武士道講義です(仙台と東京)。

◆2日(水)は泉岳寺にお参りし、浅野内匠頭と赤穂義士の御霊に合掌礼拝しました。師走に広島で忠臣蔵の講義をしますので、事前にご挨拶をした次第です。なお、吉良上野介のお墓参り(華蔵寺・愛知県吉良)は9月にすませております。

◆3日(木)は空手道永深会の先輩が若旦那として経営する居酒屋「鳥源」へ。古民家の風情が大変素晴らしいお店です。美味しい焼き鳥をたらふく頂いて、連続講義を乗り切るための体力を蓄えました。押忍

●評論・随筆●

◆余分なことをしないのが一番いい…◆

一流の医者や治療家は、患者の自然治癒力を上手く引き出している。患者を治すのは医者や治療家ではない、結局本人の生命力であると。

自然農法の生産者は、天地自然の力を生かしている。作物を育てるのは人間ではない、天地自然の働きが生成化育させているのだと。

これらに相通じる考え方を、道家流の聖人が為政者に説いた。社会秩序のエネルギーと国民の自立力をよく生かせ。国民の活力を削がないよう、無為の政治を行えと。

何事も自然の理法に従い、その邪魔をしてはいけない。余分なことをしないのが一番だという、これらの考え方に反発する人もいるだろう。でも、誰かが何でもやってくれることを期待する世の中にあって、大切な教えが潜んでいるという気がしてならない。

◆欲しいのは死に狂いを一生貫ける者◆

志士なんて簡単に集まるものではなく、すぐに育つものでもない。

だからこそ、まず欲しいのは、死に狂いとなって「活動の核」となる若者たちだ。そう思って林塾「政治家天命講座」を起こし、来期は第12期となる。

一体どんな塾生が欲しいのか?
当初より述べてきた「欲しい塾生像」は下記の通り。

1 自分にも世の中にも、まだ何かが足りないと思っている者。

理由→満ち足りている者から変革は起きない。明倫館教育では飽き足りず、天命を求めて松下村塾の門を叩いたような、生き生きした若者が欲しい。

2 打算的な利口者は要らない。欲しいのは大バカ者。

理由→利口者は、名利のためによく泳ごうとし過ぎる。大バカ者は、損を承知で真っ直ぐ旧弊に立ち向かっていく。

既存の名利を捨てられねば先駆者にはなれない。世の中を「よく泳ぐ者」ではなく、「よくしたい者」が欲しい。

3 既に固まっている人は要らない。欲しいのは、これから殻を破る者。

理由→脱皮を求められたときに、成長が終わっている人は苦痛を起こす。

もう器が定まっており、あとは殻の中で出世したり、進歩したりすればいいという人は林塾には向かない。

4 小さくまとまった円満な人は要らない。欲しいのは死に狂いを一生貫ける者。

理由→小さく丸くまとまっているというのは、それで終わっている状態にほかならない。何をしでかすか分からない、前衛タイプが欲しい。

せっかくの角(かど)は削らなくていい。角と角の間を経験で埋めて、大きな円となれ。そして狂氣を死ぬまで貫け!

人間が練れてきた頃には氣力が尽き果てていたというような、つまらない人生で決して終わることなかれ。

以上のような鍛錬を、1年間ド真剣にやるのが政治家天命講座なり。その後、同志となって日本改新と文明維新に邁進することになる。

◆衆知もミナカに集めなければ意味をなさない◆

厳しいお顔の聖徳太子像がいらっしゃる。国宝の「聖徳太子座像」(法隆寺蔵)だ。どうやら政治を執るときのお姿らしい。

聖徳太子不在説があるが、憲法十七条、冠位十二階の制、歴史書の編纂、留学生の派遣、隋との対等外交など、推古朝の素晴らしい政治改革を、太子以外の一体誰が綜合的に推進できたというのだろうか。

一人の聖人による智慧が、どれほど広く大きいものか。衆知もミナカに集めなければ意味をなさない。

欲望民主主義による衆愚政治を脱し、聖徳太子級の智慧を21世紀に集めてこそ、日本改新と文明維新が起こるものと思う。