世の中の逆を行く人が、やがて先頭に立つ!

こんばんは。浜松は真夏のような日差しでした。関東以西では、明日も夏日のところが多くなるそうです。

◆23日(火)は国会綜學勉強会で「老子」を講義。翌24日(水)は「日本史に見る社会秩序の盛衰と近現代日本史」、さらに25日(木)は「松下幸之助翁の国家観と政治観」について、林塾・東日本合同講座で講義しました。

3連戦の熱講で、珍しく喉がガラガラ。まるでお祭りの後か、選挙戦最終日の候補者みたいです。今日の昼過ぎは空手道の稽古に行き、気合いの声こそ出せなかったものの、心身がシャキッとなって元氣が回復!なお、14日(日)の昇級審査で6級から5級上に合格しました。

◆来週は29日(月)が四国中央立志会、30日(火)が神戸・今啓林会で講義をします。また、6月1日(木)から4日(日)まで大連(遼寧省)を訪問し、日露戦争の歴史を見てまいります。

●評論・随筆●

◆知恵・腕力・金運を、何のため誰のために生かすか?◆

北海道の縄文遺跡から、小児麻痺(ポリオ)に罹った成人女性の人骨が出土している。四肢が麻痺していて、周囲の介護が無ければ成人するまで生き伸びることは不可能だったらしい。約4千年前のことであり、その頃から日本列島に愛情深い人々がいたという事実が嬉しい。

助け合いがあってこそ人間は輝いてくる。助け合いは難しいことではない。それぞれの長所を生かし、自分に出来ることを提供すればいい。頭脳優秀で知恵の働く人はそうでない人を、腕力のある人は体の弱い人を、金儲けの上手い人は金運のない人を助ければ、人間社会はもっと物心共に豊かになるだろう。

ところが、知恵のある人が頭脳を自分のために働かせ、腕力のある人が他人に暴力を振るい、金持ちが醜い守銭奴となってしまうからいけない。自分の長所で他人を見下すような、自己中心的な人ばかりでは社会は荒(すさ)ぶばかりだ。

お互い、自分に与えられた天性や特性を、何のため誰のために生かすかを考えよう。せっかく優れた能力を持っているのに、それを単なる自己実現のために使って終わるようでは勿体ないではないか。

何かに優れているということは、「それを生かして世の中の役に立ちなさい」という「天からのメッセージ(天命)」だと思うべきである。誰もがこの天命を自覚する世の中になれば、一人の頭脳は皆の知恵となり、一人の力は全体の力となり、一人の金運は社会の富となる。まさに地上天国だ。縄文時代は、互恵社会の雛形であったような気がしてならない。

◆何事も、身銭を切ってこそ身に付く◆

ある議員が「政治報告会」で、参加者に意見を求めた。何でもいいから、率直に要望を出して欲しいと。そうしたら、「時間の無駄だから、こういう集まりを止めて欲しい」という答が出たらしい。その議員は、さぞかしガックリきたことだろう。

想像するにその議員は、自慢話が延々と続くか、もしくは政治活動が上手くいかないことへの言い訳ばかり喋っていたのではあるまいか。参加者は、そういう疲れるだけの報告会に駆り出されることに、ほとほとウンザリしていたに違いない。

せっかく会を開くのだから、参加者から「今日はお誘いを頂き、どうも有り難うございます。ためになるお話が聞け、勉強になりました。やっぱり来て良かったです」などと好意的な感想を貰えるよう心掛けたい。

政治家の報告会は、たいてい無料で開かれているが、講師を長年続けてきた経験上、タダの会は、会場の空気があまり良くないと感じている。集まっている人の殆どが、「仕方ない、行ってやるか」と思いながら会場に向かい、席に着いてからは「早く終わってくれ」と思っている可能性が高いからだ。参加させられた感が、非常に強いのである。

何事も、身銭を切ってこそ身に付くものだ。きちんと参加料を支払って自己啓発に励もうという人たちは、社会人としてレベルの高い方々だ。政治家も、そういう質の高い勉強熱心なファンや支援者を増やし、いつでも熱気のあるイベントを開ける体制を整えるべきだろう。使命を果たすため、もっと啓蒙力や教化力を養って欲しいのである。

私は、20代前半から30歳を過ぎる頃まで、毎月勉強会を開いていた経験がある。毎回30名から50名くらい集まっており、特別なときは100名以上の会となった。参加費も勿論頂いた。講師は自分自身が務めたほか、松下政経塾から同期や後輩を呼んだ。

議員の報告会で参加費を取るのが難しいならば、別個に有料の勉強会を起こし、日本と世界のこれからや地域の将来について、思う存分学び合える場としたらどうか。そして、単なる勉強会で終わらぬよう、一人ひとりの志を問うと共に、日本改新の活動を起こせるくらいの会を目指して欲しい。

政治家は、自己成長と共に、支援者の成長をも促せるようでなければいけない。自分の成長に付いて来られない人たちのみに取り巻かれたままでは、殻を破って大きくなることは永遠に出来ない。政治家は、取り巻きのお陰で議員を続けられると同時に、取り巻きに手足を掴まれて身動きが取れなくさせられてしまう存在でもあるということを知っておくべきだろう(但し感謝の心は忘れてはならない)。

「時間の無駄だから、こういう集まりを止めて欲しい」と意見した参加者は、もっとレベルの高い会を欲していた人ではないかと推察する。支援者の成長のスピードに、政治家が付いて行けないということだってあり得るのである。

◆私の中で男性性と女性性がぶつかり、バランスを取るのに苦労しています…◆

女性として活躍するには、どうしたらいいでしょうか、というご質問を頂きました。

質問「元来私は、女性性に欠けるところがあります。日本のため信念を持って生きるぞ!と意気込み過ぎ、女性としての生き方や役割を置き忘れてしまうのです。あるいは、女性に対する様々な制約に悔しさを感じてしまうこともあります。いろいろ学んで、女性であることの素晴らしさや役割の大切さは知っているつもりです。でも、私の中で男性性と女性性がぶつかってしまい、バランスを取るのに苦労しています。本来女性は、どのようにあるべきでしょうか?女性であることを生かして様々な公の活動をするには、どうしたらいいでしょうか?」

「どうぞ、どんどんご活躍下さい」というのが回答の結論です。勿論リスクと苦労を背負う覚悟は必要ですが、私の知るところ、貴女のような傑女は少なくありません。

大和言葉を見ると、男性と女性の違いは、噛み合わないほど大きくはないということが分かります。ヒコとヒメなら、固まる「コ」と伸びる元の「メ」の違い、イザナキとイザナミなら、力強さの「キ」と優しさの「ミ」の違いに過ぎません。そして、ヒコとヒメでヒト(人)となり、イザナキとイザナミで相互誘因活動(いざない合い)が起こるのだから、そもそも男女は人間として一体なのです。

また、東洋思想の陰陽論では、男性を陽・女性を陰に分けていますが、この分類は固定化したものとは違います。陰陽は二つで一つであり、常に循環しています。陰が極まれば陽に転ずるし、陽が極まれば陰に転ずるのです。固定のためではなく、動きや変化を捉えるために陰陽論があるという次第です。

さらに陰陽論は、陰中陽有り・陽中陰有りと説明を深めていきます。陰の中に陽が有り、陽の中に陰が有るというわけで、女性の中に男性性が有り、男性の中に女性性が有ることを古代から認めてきたのです。

つまり、女性が男性性を発揮して志士を目指すのも、男性が女性性を生かして癒しと細やかな世界に生きるのも、どちらも自然な生き方と言えます。

問題は、女性が男性性を発揮する際のパートナー選びです。陰陽が和合調和する相手を選ぶことが重要になるでしょう。前に出て積極的に生きる女性は、その陰でマネージャー役を務めてくれる、受動的で包容力のある男性を見付けると上手くいくだろうということです。そういう例は沢山あります。

でも、そこまで自分が前に出るのは大変という方は、「この男に賭けたい」という人物を見付けて応援してやって下さい。応援し甲斐のあるいい男は、現代にもちゃんといますよ。

さて私は、女性らしさを生かして活躍する猛々しい女性を益荒女(ますらめ)と呼んでいます。各地の講座受講者に、益荒女が沢山います。彼女たちには、女性の魅力を損なうことなく、大いに日本を変え世界を救って頂きたいと期待しています!

◆世の中の逆を行く人が、やがて先頭に立つ!◆

「老子」は、前に出て行く指導者にこそ必須の思想なり。行き詰まりを迎えた物欲覇道文明と膨張資本主義経済、息苦しくなるばかりの現代人の仕事や生活。これらに対して、あり方・生き方を根本から考え直させてくれるヒントが「老子」の中に沢山ある。

老子は、世の中の逆を行く人であった。21世紀の今も転換期だから、世の中の逆を行く人の中から、やがて先頭に立つ者が出てくるのではあるまいか。