優秀な細工師は、少し鈍い刀を使っている

こんばんは。早いもので明後日から師走です。
今週末の予定~明後日1日(金)は米澤で講義。2日(土)は政経倶楽部・東京例会に参加してスピーチをします。

☆米沢綜學塾 12月1日(金) 午後6時30分~9時
文明法則史学による大局観【世界編】世界はどうなる? 日本はどうする?東西文明は800年周期で交代し、21世紀は世界史激変の転換期となる!

会場:置賜総合文化センター
参加費:4000円(単発)シリーズ通し15000円
後援:米沢市教育委員会
お申込:fax0238-21-4185 mit-a@omn.ne.jp(相田光照)

●日記● 平成29年11月25日~28日

◆11月25日(土)、高校同級生ら7名が集まって飲み会。某氏曰く「同級生は皆、林が選挙に出る日を待っていた。なのに、どうして出なかったんだ? いつでも応援出来るよう、横のつながりを作っていたんだぞ」と。

そう言われると本当に申し訳なく感じる。でも、私の天命は、東洋思想を元に志士を育成するところにある。どうか分かって頂きたい。

◆11月27日(月)、四国中央立志会で講義。昼の部は社長・幹部対象に「論語に学ぶ経営者・経営幹部の心得」(第16回)を、夜の部は社員・中堅対象に『啓発録』の五カ条を話す(『すべては志からはじまる』の第2回)。

◆11月28日(火)、神戸・今啓林会(今井啓介会長)で「徒然草に伝わる中世の心」を演題に、鎌倉武士に見る質実剛健な生き様や、東国と都の人情の違いなどについて述べる。※その一部を下記「評論・随筆」に掲載しました。

●評論・随筆●

◆優秀な細工師は、少し鈍い刀を使っている◆

「優秀な細工師は、少し鈍い刀を使っている。ある法師が仏像を彫刻するときに用いる刀も、あまり鋭くはないようだ。」

これは吉田兼好の『徒然草』229段に出ている教訓なり。

切れ味の良い刀を使うと、つい切りすぎてしまう。鋭さからくる勢いで、余分に切ってしまうのだ。むしろ少し鈍いくらいの刀を手にするほうが程良く彫刻出来て、結局上手くいくものだというのが兼好の指摘である。

鋭さは便利さでもある。人が用いる道具や機械は、至れり尽くせりというところまで便利になると、却って「人が本来持っている力」を妨げてしまうことになる。性能が鋭すぎて、その人らしさや人間らしさが発揮されなくなるのである。

人間も、少し鈍いくらいのほうが、味わい深くなって良いと言える。本当は鋭いのだが、少し鈍いかのように生きていける人は実に立派だと思う。

◆一切を当てにせず、心を広く持とう!◆

「何事も当てにしてはならない。愚かな人ほど誰かを深くあてにするから、期待外れともなり、つい怨んだり怒ったりすることになる。

今、権勢があるからといって当てにしてはいけない。滅んでいくのは、大抵強い者からだ。財産があるからといって当てにしてはいけない。お金なんて、わずかの間に失いやすいものだ。

また、才覚があるからといって当てにしてはいけない。あの孔子ですら時代に合わなくて不遇に終わっている。人徳も当てにしてはいけない。孔子の弟子で最も人格者であった顔回は、不幸にも早死にしてしまった。

上役から可愛がられている場合も当てにならない。いずれ疎んぜられ、あっけなく罰を受けるかも知れぬ。優秀な部下が揃っていることも当てにはならない。何か起これば、背いて逃げ去る者が出てくるものだ。

それから、他人の親切も当てにしてはいけない。人の心は変わっていく。交わした約束も当てにならない。この世に信頼出来ることなんて、本当に少ないのが現実である。

そこで、どうすればいいかというと、自分をも人をも当てにしないようにしよう。当てにさえしなければ、良い事があったときは素直に喜べばいいし、悪いときはそんなに怨まないでいられるようになる。

我が心を左右に広げ、いちいち嫌な事にぶつからないでいられる自分となるのだ。心の前後に幅があれば、恨みや妬みで行き詰まることが無くなっていくだろう。

ところが、我が心が狭いままだと、様々な出来事に押し潰され、砕け散ってしまうことにもなる。心の持ち方に余裕が無く、人に対しても物に対しても厳し過ぎて狭量となり、いろいろな事に逆らい身を滅ぼしていくのだ。でも、当てにしないことによって生まれる心のゆとりと柔らかさがあれば、少しも損なわれたりしなくなる。

人間は万物の霊長だ。天地は限りなく広がっている。人間の本性が、どうして天地と異なることがあろうか。天地のように寛大で極まることが無ければ、普通なら舞い上がるほどの喜びも、狂うほどの怒りも全然妨げにはならない。そうして達観すれば、外界の変化に翻弄され、思い煩う必要が無くなるのである。」

以上の文は、吉田兼好著『徒然草』211段の内容だ(意訳:林)。私自身、還暦まで生きる中、人間関係で数々の苦しい体験を重ねてきた。そうしてこの頃、やっとこの兼好法師の心境に、少しずつ近付いてきた気がする。

この教訓は、決して諦めの勧めではない。むしろ、心にしなやかさを持つことで、もっと器量を大きくし、天命を果たせる自分になるための心得と思うが如何であろうか。