還暦からの空手道入門

こんばんは。明日は「端午の節句」、「立夏」です。

◆連休の間、中江藤樹と北方(喜多方)藤樹学の研究を進めています。6月から始まる喜多方立志セミナーで講義するための準備です。講義の構想を練るのは、じっくり腰を据えて資料に当たれる連休中が一番です。それから今月13日(日)、いよいよ空手道の昇段審査を受けます。講義準備の合間に、受験の「形」の動画を見たり稽古したりしています。


◆来週は浜松で講義します。お気軽にご参加下さいませ。

☆東林志塾(浜松)5月8日(火)午後6時30分~9時00分
会場:21世紀倶楽部(静岡新聞社・静岡放送プレスタワー)
じっくり味わい、人生の骨格を養う「論語」講座(3)
人間力があれば、自分を売り込まなくても向こうから仕事が来る。自分を分かって貰えないことを悲しむよりも、自分が人を知らないでいることのほうを心配せよ。 他
戦前の日本は思想戦に敗れていた!封印の書『学術維新原理日本』講話(3)
言葉は厳然たる実在。事=言~言葉は物質と精神をつなぎ、思考を現実化させる
参加費:オブザーバー3000円 
電話090・5875・7687(事務局・川岸和花子さん)
FAX0538・38・9944

◆国是担当地方議員大会へのお誘い◆
皆様、ふるってご参加下さい!
日時:7月19日(木)午後5時~9時(7時半~9時は懇親会)
会場:新大阪江坂東急REIホテル(大阪府吹田市)
講師:林英臣(林英臣政経塾塾長)
演題:国是担当地方議員が担う~国家百年の計「新日本創成論」~
パネリスト:
鈴木英敬氏(三重県知事)
中田 宏氏(元衆議院議員、元横浜市長)
南出賢一氏(大阪府泉大津市長、林塾4期生)
参加費:無料 懇親会は5000円
※お申込は下記からお願い致します。
https://docs.google.com/forms/……w/viewform

●評論・随筆●

◆各党は、それぞれが目指す「国家百年の計」を出そう!◆

体が弱ると、まず手足が冷えてくる。国家も衰亡すると、周辺から壊れていく。

日本の政治は、年々溶け出す一方だ。与党がガタつく中、野党はもっと緩んでいる。

政治から将来ビジョンが消えて久しい。「国家百年の計」といった大構想が、特に野党から聞こえてこない。

権力を握る与党は勢いがあり、中央にあって繁栄の“残り汁”も啜れる。周辺に位置する野党には、それらの恩恵が無いから大変だ。結局こういう時代は、野党から崩れてしまうのである。

野党には、与党のミスを激しく非難する以外に能が無いのだろうか。それが声高であるほど、情けなさで胸が痛くなるのだが…。

各党は、すべからくそれぞれが目指す「国家百年の計」を出そう。国難の向こうに待っている、日本の理想を骨太に描いて欲しい。

そして、次の衆院解散は、「国是解散」にしてはどうか。国家百年の計と国是を競い合うことで国民の信を問う、価値ある総選挙をやって頂きたいと願う。

◆「還暦からの空手道入門」◆月刊「武道」日本武道館5月号より

◇生涯稽古を積んでいくのが武道◇

スポーツと武道は、やはり違う。スポーツが速さや技術を争い合う競技であるのに対し、武道には、その原点に相手を倒すという目的がある。倒すか倒されるかという、極限状態の中で確立されたのが武道なのだ。その分、相手への尊敬と礼節が一段と求められてくる。

確かにスポーツの中にも、ボクシングやレスリングなどの格闘技がある。でも、これらと武道との間にも大きな違いがある。それは、目指していく頂上の置き所だ。

ボクシングやレスリングでは、一般にその頂点は競技会での優勝にあり、世界チャンピオンが最高位に立つ。やがて加齢と共に体力が低下し、王者の座から陥落すれば、第一線を退いてコーチや監督、解説者に就く。昔を知る者からはレジェンドなどと呼ばれて敬意を受けるが、もはや栄光は過去のものだ。

だが武道の場合は、大会等の優勝は武道家人生の一プロセスに過ぎない。優勝するための技術的な進歩は大切だが、武道家としての完成は、その先の達人と称される高みにある。

齢を重ねれば、若いときのようには動けなくなるものの、それと共に余分な力や無駄な勢いが抜け、妙味というものが出てくる。人生が老境に達しても、その人の武道は一層完成に向かっていけるというところが違うのだ。

合気道開祖の植芝盛平翁は、「わしが一番強いのは死ぬ前だ」と語っていた。事実、晩年に益々相手を制する技が冴えていたと聞く。

そういうことからすれば、武道家には引退という言葉が無いことになる。チャンピオンを目指すことからの“卒業”はあっても、武道それ自体からの引退はあり得ないと。即ち、死ぬまで達人の域を目指し、生涯稽古を積んでいくのが武道家人生なのである。

◇柔道・居合道・杖道・合気道、そして空手道◇

武道は、筆者の唯一の趣味だ。高校時代に柔道部に所属したのを皮切りに、上京して居合道(夢想神伝流)・杖道(神道夢想流)の道場に通い、1期生として入塾した松下政経塾では剣道の授業を受け、中年になった38歳からは合気道(養神館)の修練に励んだ。それらの稽古によって合わせて九段を頂いた。

その後、生業である講演業が忙しくなり、道場に通う時間が物理的に取れなくなった。それでも、一人で行う武道稽古は、三日に一回程度であるものの、ずっと続けた。

そうして、59歳となった一昨年の夏、当時小学一年生の孫が空手道に通い出したのをきっかけに、その送迎がてら入門することになった。実は、もう一度武道をやってみたい、出来れば打撃系に挑戦してみたいという希望を以前から抱いていた。が、還暦間際ということもあって、すっかり諦めていたのだ。

孫が参加するキッズコースの稽古が良かった。後ろで見ながら真似ていく内に、自分でもやれる気が湧いてきた。師範は間瀬弘明浜松市空手道連盟会長(49)。全空連五段の先生で、糸東流を基本に剛柔流なども取り入れ、各流派の長所を教えてくれる。会の名称は「永深会」。空手道を永く続け、深く極めようという意味があり、永深会には小中学生を中心に、最高齢の筆者に至るまで約百名が通っている。

武道には、スポーツ以上に礼節を尊ぶとい特徴もある。永深会には「勝っても負けても格好良く。挨拶は元気に、履物は揃えて」という道場訓がある。勝っても卑怯な勝ち方があり、負けても誇れる負け方があるというのが師範のモットーだ。

ただ強くなるばかりではなく、稽古を重ねると共に人間として成長していくことが大切で、そのためには挨拶がしっかり出来ることや、履物を揃えられることが基本になるという教えである。

◇合わせて十段、還暦からの決意

ところで、稽古は学業を補ってもくれる。頭が良くて成績優秀なのは素晴らしいことだが、頭で覚えたということと、身に付いたということは全然違う。暑い日も寒い日も稽古に通い、ほんの少しずつ身に付けて成長していくということは、子供たちにとって教室だけでは得られない貴重な経験になるだろう。

実際、単に頭脳優秀というだけでは、要領のいい子に育ってしまい、言い訳が巧みで、他人を上から見下すような人間ともなりかねない。むしろ不器用一心に継続する子のほうが、人として必要な耐性が養われるはずだ。

さて、刀は武士の魂であり、刀と道具は全然違う。道具であれば、使用後に手入れして収納場所にしまっておけばいい。しかし、刀は元服して腰に帯びて以来、死ぬまで我が身と一緒だ。外出時は大刀と脇差の二本を腰に差し、室内にいるときは大刀こそ外すものの、必ず脇差や短刀を帯びている。夜寝るときは、刀は床の間の刀掛けにかけるか、刀掛けが無ければ頭の上(枕元)に置いて、いつでも抜けるよう意識していた。空手道の場合は拳や足が刀となる。手足を刀に鍛えつつ、イザというとき以外に乱用することの無いよう、心の鞘に、きちんと納めておかねばならない。

本年二月の昇級審査会で、筆者は一級上(全空連一級)に合格した。師範の懇切丁寧な指導と、筆者持ち前の気迫と気合いで昇級したのだと思う。いよいよ次は昇段審査であり、合格すれば計十段となる。一つの武道で到達した十段とは訳が違い、そもそも合計して何段などということに意味が無いことは重々承知している。でも六一歳で空手道初段を頂くことでの達成は、少しだけ誇らせて頂きたい。それに、柔道や合気道との違いを体験出来たことは、綜合的な見地を重んずる筆者にとって、とても大きいものがあった。

達人などと書いたものの、私の場合やはり武道は趣味であって、武道そのもので達人になろうというのは大それている。筆者の仕事は講演業だから、武道を生かしながら講演業の達人になりたいと願っているのだ。武道の稽古で身に付けた間の取り方や気迫の出し方を、講義や講演に生かしたいと。

実は、家内も空手道に入門した。夫婦合わせて一二〇歳、還暦からの空手の道を生涯歩んでいきたいと決意しているところである。

※空手道永深会の稽古日等はこちらから→  http://eishinkai.hamazo.tv/