日本を守るために立ち上がった青年「橋本左内」

こんばんは。7月を迎え、今年も後半に入りました。本日7月2日は、そろそろ梅雨が明ける頃とされている「半夏生」です。日本列島の広い範囲で、動きの遅い台風7号による大雨被害が心配ですね。

◆明日は「北陸神道青年協議会研修会」で立志論を講義します。会場は福井市。7日(土)は「伊那谷文明維新塾」で福井の志士・橋本左内について話します。

「嘉永6年(1853)、アメリカのペリーが軍艦4隻を率いて浦賀にやってきました。武力を見せつけ、強引に開国を迫ってきたのです。

何とかしないと、日本はアメリカをはじめとする強国の圧力に屈してしまいます。国論は、鎖国を続けて国を守ろうという意見と、こうなったら開国しようという意見に分かれました。でも、どちらの主張も場当たり的でした。鎖国を続ける理由は「昔からそうだったから」であり、開国する理由も「取り敢えず国を開くしかない」という程度のものが多かったのです。

そのとき、日本を守るために立ち上がった青年がいました。橋本左内という越前藩(福井)の下級武士です。左内は、世界情勢を見て、日本だけ鎖国しているのは無理だと考えました。そこで、開国して外国の進んだ技術を導入し、十分な国力を養いながら、ロシアやイギリスやアメリカなどの強国に侵略されない日本を創ろうと構想したのです。

左内は、この構想によって国家の危機を乗り越えるため、日本全体が協力し合える体制を起こそうとします。将軍に優秀な一橋慶喜を立て、それまで徳川政権に加われなかった御三家や外様大名にも加わってもらい、“諸藩同盟による連合政権”を結成しようと動きました。この運動には、あの西郷隆盛も参加しています。西郷は、左内の構想に心から賛同していました。

しかし、左内らの改革政治の影響で立場を失うことを恐れた権力者たちによって、あと一歩のところで構想は潰され、左内は数え年26歳の若さで処刑されてしまいます(安政の大獄)。もしも諸藩同盟が成功していれば、その後の坂本龍馬の活躍や、薩長同盟策などは要らなかったことでしょう。

さて左内は、数え年15歳のときに「啓発録」という文を書き、それに基づいて自己成長を心掛けていました。その文の中に、武士としての心構えや、志を立てることの重要性、勉強の大切さ、励まし合える友達の必要性などがまとめられています。」

☆伊那谷文明維新塾 7月7日(土)午後6時~8時 その後に懇親会あり
演題:西郷隆盛が心服した男~橋本左内と『啓発録』に学ぶ立志の基本
会場:駒ヶ根駅前アルパ3階
参加費:3000円 懇親会別途2000円
お問い合せ:0265・85・2070(事務局・宮田村議・清水正康さん)