じっとしていて上手く治まる人、動けば動くほど多忙になる人…

こんばんは。昨夜の台風は、今までで一番雨風が強く、さらに強風の吹き荒れる時間が長かったです。浜松は7~8割が停電。拙宅も約15時間停電しました(これでも回復が早かったほうです)。窓から見える信号機は、斜めに曲がったまま。現代文明は、本当に脆いと感じます。

◆林塾関係者の選挙情報です。人物・識見とも、しっかりしています。
☆10月7日(日)告示→14日(日)投開票
今中真之助塾士(11期生)熊本県宇土市議選
☆10月19日(金)告示→28日(日)投開票
先崎温容塾士(6期生)福島県議会補欠選
☆11月11日(日)告示→18日(日)投開票
岩堀研嗣塾士(6期生)千葉県松戸市議選 

●評論・随筆●

◆じっとしていて上手く治まる人、動けば動くほど多忙になる人…◆

孔子が君子と認めた人物に、子賤(しせん)という男がいた。子賤が地方長官になったとき、彼は一日中、庁舎の中で琴を弾いていた。なのに、その地方はちゃんと治まった。

今度は、巫馬期(ふばき)が地方長官になった。治まるには治まったが、巫馬期は一日中てんてこ舞いに奔走した。

巫馬期は子賤に言った。「君と僕とでは、どうしてこうも違うのか。君は琴を弾いていても治まるのに、僕は動き回ってやっと治まる有り様だ」。

子賤は答えた。「僕は上手く人を使っただけさ。君は、全部自分でやろうとするから大変なんだよ」。

子賤のようになるためには、部下たちにどんどん仕事を任せなくてはならないが、細かい指示を出さなくても大丈夫なところまで、どうやって組織を有機体に育てたらいいのか。いちいち背中を押さなくても、自律して動いていってくれる有機体を如何にして起こすかと。

それには、少なくとも次の3点が不可欠だろう。
第一に、共通目標となる大方針が示されているということ。
第二に、一人一人に明確な役割が与えられているということ。
第三に、努力して成果を上げれば認められ、方針や役割に外れたら指導を受ける
という、賞罰が明らかであること。

「大方針」と「役割」と「賞罰」。きっと子賤は、これらを調えながら職務に励んだことと推察する。部下たちと歯車が噛み合っていないため、動けば動くほど多忙になっていく巫馬期のような仕事ぶりにならないよう、よくよく注意したいと思う。 ※参考図書「呂氏春秋」

◆孔子曰く、道徳家ぶる偽善者に注意!◆

人間は小さいがプライドが高く、自分くらい偉い人間はいないと思っている。目下や後輩へのパワハラ・いびりは日常茶飯事で、いつも上からものを言いたがっている。

自分に従う者には親切だが、やんちゃで少しハメを外した人物は即拒否。また、自分より目立つ者もダメ。有能な人物を受け入れられず、嫉妬心を燃やしては陰で悪口を言ってくる。

『論語』には、孔子の言葉として、そういう者に対する嘆きが載っている。「子曰わく、郷原(きょうげん)は徳の賊(ぞく)なり」と。陽貨第十七

「郷原」は、村で君子らしく見せかけている偽善者のことだ。狭い村社会の中で、偉く見られることばかり欲していてどうするという忠告である。仲間内(組織内)での地位上昇ばかり願っているようでは、生き方が小さいという意味でもあるだろう。

道徳倫理などの教えは、それが立派であるほど、大きな器に入れねばならない。学習と同時に、意識して器量や貫目を大きくしていかないと、尊大で品性の低い者が多くなり、却って社会に摩擦や対立が増えてしまう。

それを孔子は「徳の賊」と呼んだのだ。そういう徳を損なう賊にならないよう、よくよく注意したいと思う。

◆昔の人には、欠点を補う魅力があった…◆

昔の人には、欠点があっても、それを補って余りある魅力があった。だが今の人には、それが無くなった。

昔の強面(こわもて)のニイさんには、太っ腹で若いモンを受け入れる器量があった。だが今の強面は、ただ虚勢を張って威張っているだけだ。

昔の融通(ゆうずう)の利(き)かない頑固者には、自説を曲げない信念と、私欲に囚われない廉潔さがあった。だが今の頑固者は、怒ってばかりいて、ただ摩擦を起こすだけだ。

昔の愚者(ぐしゃ)は、能力は低くても、真っ直ぐでバカ正直だった。だが今の愚者は、卑屈になって、つまらないウソばかりついている。

器量、信念、正直。これらは、その人の魅力になる。だが、虚勢を張って、やたらに怒り、見え透いたウソをついているようでは、欠点が致命傷となって自滅するだけだ。ああ、欠点は多いのに魅力に溢れていた、昔の人たちが本当に懐かしい。

この話の出所は『論語』陽貨第十七なり。欠点を魅力に変えるためにこそ、学問や自己研鑽がある。現代に於いても、我々の人間性が足りないのではなく、それを魅力に活かす教育と環境(社会的包容力)が不十分なのだと思う。