武士道精神と公家精神、両方欲しい理由…

こんばんは。昨日は新暦の七夕、そして「やや暑熱を催す」という「小暑」でした。昨日から、大相撲名古屋場所が始まりましたね!

◆本号の「日記」の小見出しです。内容は下記をご覧下さい。
☆京都美術館で開催している「トルコ至宝展」へ
☆六波羅蜜寺の空也像がいい!

◆本号の「評論・随筆」の小見出しです。内容は下記をご覧下さい。
☆武士道精神と公家精神、両方欲しい理由…
☆これも何かの「お知らせ」かも…
☆京都異界の幽霊子育て飴!?

◆林塾関係者の選挙情報です。しっかり綜學を学んだ者たちです!
☆8月18日(日)告示→25日(日)投開票
 山口孝弘塾士(7期生)千葉県八街市議選
☆8月20日(火)告示→25日(日)投開票
 戸口勝塾祐(11期生)埼玉県小川町議選

●日記● 令和元年7月6日~7日

◆5月6日(土)、京都美術館で開催している「トルコ至宝展」へ行く。大帝国であったオスマントルコ帝国(1299~1922)の宝物の数々を堪能。帝国の最盛期には、欧州を震え上がらせる国力を誇っていた。美術館を出た後、平安神宮に参拝。そして綜學社研修所に入る。

午後は、綜學社研修所から歩いて、秀吉建立の豊国神社に参詣。隣の方広寺の鐘には「国家安康」「君臣豊楽」の文字が見える。家康は「国家安康」の文字を、「家」と「康」を裂くものとして難癖を付けたという。

◆5月7日(日)、六波羅蜜寺に参詣。開祖は空也上人。かつて平清盛は、この六波羅の地に政庁を開いていた(六波羅探題)。

宝物殿の空也像がいい。口から六体の仏様が出ており、南無阿弥陀仏の六文字に重なっている。言葉それ自体が仏様であるという、言霊信仰の表現だろう。言葉は単なる音ではなく、霊力を持った言葉神なのだと!

それから、平清盛像も日本史の教科書・資料集などで有名。修学旅行らしい中学生が見学に来ていた(なぜか常に女子が多い)。

その後、六道珍皇寺にお参りし、建仁寺境内を通って祇園の料理屋へ。帰りは、安井金比羅宮(主祭神は崇徳天皇)に参拝。悪縁を絶ちきり、良縁に出会いたい人に人気のある神社らしく、ワクワク顔の若者で賑わっていた。

●評論・随筆●

◆武士道精神と公家精神、両方欲しい理由…◆

幕末維新期に、日本を動かす中心軸が二つあった。一つは江戸、もう一つが京都だが、京都が軸として急に台頭したことには理由がある。

それは、気概を持った公家たちの政治活動だ。岩倉具視(ともみ)や中山忠能(ただやす)ら、日米修好通商条約に反対した公家八十八名が、関白九条邸門前で座り込みの抗議行動をおこしたのである(廷臣八十八卿列参事件)。

結局、幕府は勅許を得ぬまま通商条約を結ばざるを得ず、違勅調印となったことが反幕攘夷運動に火を付けていく。幕府は方針に逆らう大名や公家、武士、志士らを取り締まることになり、安政の大獄となった。

安政の大獄だが、これは雄藩連合構想を進めていた「一橋派」潰しの意味もあった。その主導者であった橋本左内は処刑され、同志の西郷吉之助は薩摩に逃れた。

幕政の要職に就く権利を持っていた譜代小藩の大名が、雄藩連合構想によってその既得権益を失うことを恐れ、改革潰しのために井伊直弼を担いで引き起こした恐怖政治が安政の大獄だったのだ。

さて、公家は一般に軟弱者の代名詞とされている。服装・物腰・言葉遣いなど、どれを取っても勇猛な武士の対極に位置する臆病者が公家と思われてきたのだ。

しかし、歴史を見ると決してそうではない。古くは国体(天皇を中心とする日本の国がら)を守った大伴金村や、尊皇心の厚い大伴家持、中世では後醍醐天皇を補佐した北畠親房や日野俊基など、学識豊かにして勇敢な公家は沢山いる。大楠公の楠木正成も、公卿の子孫だから国体がよく分かっていた。

公家は一般に学問に熱心であり、その分、日本の何が尊いのかを熟知していた。守るべき根本を心得ていたからこそ、幕末の公家たちも、国難に対して勇気を振るうことが出来たのだ。そもそも、公家は朝廷を支える重要な臣下である。

私はこれまで、武士道精神が甦れば、日本は復活すると唱えてきた。その考えは些かも変わらないが、そこに尊皇心の厚い公家精神が伴わなければいけないということに最近気付かされた。

実際、武家には、賜姓皇族出身の貴族を遠祖に持つ者が多い。桓武平氏や清和源氏が、その代表だ。武家と公家の距離は、必ずしも遠くはない。

武士の忠義は武士団への忠義で終わり易いが、公家の忠義なら常に国体への忠義となる。今日の政治家の忠義も、政党への忠誠心で終わるようでは、あまりにも器が小さい。公家精神よろしく国体への強い忠義心を持った、党派を超えた大人物が現れて欲しい。

武士道精神と公家精神を併せ持った指導者の育成。これが、日本復活にどうしても必要なのである。

◆これも何かの「お知らせ」かも…◆

綜學社京都研修所の坪庭に、2つの岩と小石がある。陰陽共生を表したわけだが、最近になって、日本外交のあるべき姿に重なってきた。

2つの岩はアメリカとチャイナ。小さな石は日本。

二大国に呑み込まれないよう注意しつつも、挟まれているからこそ、世界の行司役を担えるはず。

G20の日中首脳会談で、安倍首相は習主席から、随分アメリカに対する愚痴を聞かされたらしい。

今や、そのトランプ大統領の一番の話し相手は安倍首相だとも聞くから、いつのまにか二大国の行司役に近づいてきた。

そんなことを考えながら、坪庭の岩の配置も、何かの「お知らせ」かもしれないと感じた次第。

◆京都異界の幽霊子育て飴!?◆

伝統の菓子には、必ず謂れ(いわれ)がある。謂れとは、その菓子にまつわる伝説や由緒、本物としての由来だ。

謂れと、菓子の美味しさが合わされば、歴史を貫いて売れ続ける商品となる。

さあ食べようというときに、謂れを聞けば(読めば)心が開く。そして美味しければ、たちまちファンになる。

京都で五百年は続いているという「幽霊子育飴」が、その一つだ。亡くなった母親が赤子のために、夜な夜な飴を求めて育てたという伝説によって、幽霊子育ての飴と呼ばれるようになった。

この飴の、麦芽水飴本来の甘さが良い。手造りによる本物の美味しさがある。

幽霊子育飴本舗のご主人は二十代目。その甥が、京都勉強会で熱心に学んでくれている。

そういえば以前、謂れに大変熱心なN県の菓子屋がいた。なんでも有名な神社に由緒があるとのこと。

だが、パサパサした饅頭で、あまり美味しくない。全国ブランドにすると意気込んでいたが、とても無理だと思った。夢の前にやるべき基本があるはずだろうと。

伊勢の赤福、浜名湖のうなぎパイなど、いずれも謂れと味が整っている。基本が違うのだ。

幽霊子育飴本舗のすぐ東には、六道珍皇寺がある。その境内は、この世とあの世の境とされており、お盆に都の先祖が帰って来る所とのこと。土地柄も、幽霊飴に相応しい。

幽霊子育飴には、刺激的な酸味などは無いが、後味が最高だ。ノドを守るのにも良い。これからも本物の飴を世に出し続けて欲しいと思う。