激しい憎悪と嫉妬から、美しい芸術作品が作れるのだろうか?

こんばんは。昨日は本暦七夕でした。そして今日は二四節気の「立秋」です。それにしても暑いですね!

◆本号の「日記」の小見出しです。→内容は下記をご覧下さい。
☆東京・経世志塾で講義~動くからこそ動かないもの(信念や理念)を持て!

◆本号の「評論・随筆」の小見出しです。→内容は下記をご覧下さい。
☆激しい憎悪と嫉妬から、美しい芸術作品が作れるのだろうか?

◆明日は岐阜県・各務原市で、来週13日(火)は浜松で講義します。
☆「東海こころざし勉強会」
日時:8月9日(金)午後6時受付 講義6時半~9時
演題:「側近学」~成功する指導者に優れた側近あり~
側近は、左右の取り巻きや、単なるご意見番とは全然違う。側近は、トップの志を片腕となって実現させる人物のことであり、常に組織全体を把握しつつ、その活動をマネジメントしていかねばならない。それはトップ以上に大変な役割であり、陰となり嫌われ役ともなるのだから、よほど無私の心がなければ務まるものではない。大事業を為した人物には、例外なく優秀な側近が付いていた。
劉邦には簫何(しょうか)、劉備には孔明、松下幸之助には高橋荒太郎、井深大には盛田昭夫、本田宗一郎には藤沢武夫という名側近がいた。
ナンバー2の方にはもちろん、組織のトップにとってもどんな人物を重用すべきか、大きな学びになります!
参加費:一般:3,000円、学生:2,000円
会場:信長が戦勝祈願をしたことで知られる手力雄神社(岐阜県各務原市)
申込先:「東海こころざし勉強会」090・8070・4570(水野岳男代表)
詳細と参加お申込→  https://www.facebook.com/event……916267597/

☆東林志塾(浜松)
日時:8月13日(火)午後6時30分~9時00分
世界と日本の動きを読む~韓国問題にどう対応するべきか。じっくり味わい、人生の骨格を養う「論語」講座(17)
「仁」は近くにあり「そうなろうと思う」ことが大切。偏らない人間力。他
戦前の日本は思想戦に敗れていた!封印の書『学術維新原理日本』講話(17)
マルクス主義と日本国家は相容れない。暴力革命も国民の自由!? 国民を善導しようとしても効果は無いと言った美濃部達吉氏は、論争から逃げてしまう。他
会場:21世紀倶楽部(静岡新聞社・静岡放送プレスタワー)
参加費:オブザーバー3000円 
電話090・5875・7687(事務局・川岸和花子さん)
FAX0538・38・9944

◆林塾関係者の選挙情報です。しっかり綜學を学んだ者たちです!
☆8月18日(日)告示→25日(日)投開票
 山口孝弘塾士(7期生)千葉県八街市議選
☆8月20日(火)告示→25日(日)投開票
 戸口勝塾祐(11期生)埼玉県小川町議選

●日記● 令和元年8月7日

◆8月7日(水)、東京・経世志塾(長屋貢司代表)で下記内容を講義。
・リーダーはよく動く。動くからこそ動かないもの(信念や理念)を持て!
・法と罰のみで国家国民をまとめようとするな!法の網の目をくぐる輩が出る
・60歳を超えたら、後進の言うことをよく聞き、弟子を前に立たせよ(自戒)
・人間観察法~行動、その動機、そしてそれを喜ぶ理由。人は自分を隠せない
・幹部が真っ直ぐなら、部下も真っ直ぐになる。真っ直ぐな幹部を求めよう!
・まず、自分のご先祖を祭れ。筋(義)を通す場面で必要なのは勇気だ! 他

林塾から下記2名が参加。長年、一所懸命学んでくれて本当に有り難う!
久野晋作塾士(3期生、千葉県我孫子市議)
伊藤 央塾士(5期生、東京都小平市議)

●評論・随筆●

◆激しい憎悪と嫉妬から、美しい芸術作品が作れるのだろうか?◆

権力者や金持ちは悪人、弱者や貧乏人は善人。この固定的な人間観のまま文芸や芸術に取り組むと、対立心や闘争心に取り憑かれた作品ばかりとなる。

その根底にあるのは何か。それは激しい憎悪と嫉妬だ。そして、歴史や伝統、権威と秩序を破壊するのが美ということになるらしい。

革命後のロシアが、その例だ。崇高な精神は衰え、革命を称える作品しか製作を許されず、ドストエフスキーやトルストイのような文豪は二度と現れなかった。それは、社会に憎悪と嫉妬が満ち、愛と救いの精神が消えてしまったからに他ならない。

美は元来、調和やバランスが取れていてこそ感じるものだ。愛と利他、慈悲と癒しも美精神に必要だろう。

あまりにも気持ち悪い展示物を美と勘違いしている者たちによって、日本の美意識が損なわれるようなことが決してあってはならない。何でもかんでも展示さえすれば美になるというのは、素直に考えて変ではあるまいか。

追記:文芸作品は人間心理を表現したものだから、怨みや妬みを抱いた登場人物が必ず出てくる。ロマン文学であろうが写実文学であろうが、それは同じだ。従って、憎悪と嫉妬が作品の種になることは古今東西変わらない。

ところが、それがプロレタリア文学になってくると、権力者や資本家への憎悪と嫉妬が突出して強まる。そして、苦悩の向こうにある救いとか、怨みを超えた愛や許しといった人間精神の美しさが消えていく。やがて、歴史や伝統が持つ美精神を否定し、体制の打倒へ立ち上がるよう促すのみのプロパガンダと化すのである。