その35 誰にでも分かる勝ち方は、最善の勝利ではない

何かの競技や戦いで「一般の人々でも分かる程度に過ぎない勝ち方」が起こるのは、大きな実力差があるときか、そうでなければタイミングが偶然合ったことで、たまたま勝利した場合でしょう。派手なスタンドプレーが功を奏し、最初から大技で決着を付けられたようなケースがそれです。

ところが、実力が伯仲してまいりますと、無警戒なまま派手なプレーに及んだり、いきなり大技を掛けたりといったことは困難になります。

武道の試合ならば、勝てる態勢に持ち込むための駆け引きがあります。相手の出方を読んだり、優位になるよう組んだりするところから、攻防の掛け合いが始まっているのです。

それを見ていて何を思うでしょうか。素人は派手な決まり手を見て歓声を上げますが、その途中の駆け引きには、あまり興味を感じません。本当は選手同士の臨機応変の動きに技術の高さが現れていて、それを見抜くところに面白さがあるはずですが、素人目にはつまらない掛け合いにしか映らなく「早く技を出せ」という気分にしかなれないのです。

何事であれ、その分野に通じた人でないと、事の本質や細部に施された努力に気付けないものです。そこに、玄人や専門家が孤独になる理由があるわけです。

野球の守備もそうです。外野手は、あらかじめ打者の癖を掴み、今日の調子と投手との相性、風向きなどの自然条件を読み取っておきます。そして、打球がどこに飛んでくるかという予測を立てながら、臨機応変に守備位置を変えていきます。実際にそこへ球が飛んで来れば、難なく処理出来ることになります。

でも、観客の拍手はまばらでしょう。あらかじめ立っているところへ飛んできた球を、簡単に捕らえただけにしか見えないからです。そういう守備を「見えないファインプレー」と呼ぶのですが、それが分かっていて感心するのは、観客の中でも野球全体が分かっている人たちに限られます。

スタジアムで応援し、熱狂の中に身を置くことが大好きというファンには、見えないファインプレーよりも、猛ダッシュでやっと追い付いて捕球するプレーのほうが、見ていて楽しいでしょう。

もしも頭脳を働かせることなくボーッと立っていたところへ、あわやホームランという大飛球が来て、あわててダッシュしながらボールをグラブに収めるというような守備が起これば、観客には大受けとなりますが、落球したなら長打(二塁打や三塁打)となる危険極まりない守備となるはずです。(実際には、しっかり練習している選手にそんな人はいませんが)。

そこで孫子は、そういう誰にでも分かる勝ち方は、決して「最善の勝利ではない」と指摘したのです。(続く)