政治が「国民の善心」を集められるシステムになっていない…

こんばんは。今日も猛暑となりました!熱中症に要注意ですね。
盛夏の日本は熱帯気候です。だるければ休み、こまめに水分補給しましょう。

●評論・随筆●

◆政治が「国民の善心」を集められるシステムになっていない…◆

個々の国民は、親切で善い人たちが多い。なのに、どうして国家という単位になると、身勝手で高圧的になってしまうのか。そういう疑問を、誰もが抱いたことがあると思う。

大集団になるほど精神レベルが下がってしまう理由は、一体どこにあるのか。それは、政治が「国民の善心」を、ちゃんと集められるシステムになっていないからではあるまいか。

則ち、選挙そのものが「国民の善心」を集められるシステムになっていないと。むしろ、人間の持つ私利私欲を煽りながら実施されるのが選挙の実態であり、やればやるほど国民の意識レベルが低くなっていく気がしてならない。

どの国どの時代にも善性の高い人たちは、それ相応にいるし、誰の中にも善心は宿されている。なのに、政治が「国民の悪心」を代表してしまうとすれば、根本から民主(民本)政治というものを考え直さねばならないことになる。

現代の大国であるアメリカとチャイナは、どちらも覇道国家であり、金力と武力で自国をまとめ他国に対抗している。覇道国家では、有力な指導者ほどエゴが強くなり、発言や行動が身勝手になる傾向が強い。まさにそれは、国民の「善心」よりも「悪心」が集約される形で政治が成り立ってしまっている結果ではあるまいか。

但し、選挙の問題点を指摘したものの、民主的な政治が行われているアメリカのほうが、選挙で民意の後ろ盾を得なければならない分、まだ国民の幸福に目が届くことになるからいい。

チャイナはどうかといえば、ひたすら覇道的に人民を抑え付け、他国に強い圧力を加えることで体制を守ろうとしてしまう。その一党独裁による強権強圧政治は、近年益々エスカレートする一方である。

かつてチャイナの王朝国家では、君主が恥を知り、汚名を強く嫌った。それが暴政への歯止めとなって、法治のみに頼ろうとしない、徳治や礼治が重視される王道政治が敷かれたのだ。皇帝らは、後世に悪名を残すことを最大の恥として嫌い、善政に大変熱心となったのである。その王道政治を、いつの日か甦らせて欲しい。

さて、「国民の善心」を集めるための方法であるが、私は20数年前から「コミュニティー互選民主制」という方法を提案してきた。簡単に言うと、100名程度の集まりから1名の代表者を互選的に選び、それがまた100名集まって1名の代表者を選ぶということを、4回繰り返すことで1億人の代表を選出するというやり方だ。

人間が他人と触れ合いつつ、言動をよく観察し合い、お互いの善し悪しを判断出来る単位は100名くらいまでが適当らしい。この方法が「国民の善心」を、さらに人類の善意識を集められるシステムになればと思う。

とにかく、今のままでは国家の意識レベルが、あまりにも低過ぎる。善心を持つ人(目覚めた人)は、21世紀の文明交代期に入って、むしろ以前よりも増えていると思うのだが、それが集合意識化していない。AIなど科学技術の進歩に見合うよう、人類意識の向上をしっかりと図ろうではないか!