「松下幸之助が求めていた政治家~龍馬は来んかった!?」

下記は松下政経塾「マンスリーレポート」11月号に寄稿した文です。
※「35周年記念行事」は、9月5日(金)~6日(土)に開催されました。

「開塾当時の意識に、しっかりと引き戻してくれた二日間」

35周年記念行事は、開塾当時の意識にしっかりと引き戻してくれた二日間であった。真々庵見学や塾主墓参り、記念式参加などを経て、何のために松下政経塾を志望したかという原点に、改めて回帰することが出来たのである。

原点回帰、それは過去を懐かしがる郷愁とはわけが違う。原点からブレることなく、覚悟と本氣を以て、今とこれからを生き抜いていく。そのための魂の禊ぎを、二日間行えたという思いである。企画・準備を担当された、塾職員の皆様に心から感謝の意を表したい。

塾主から頂いた忘れられない言葉がいくつもあるが、その中に「龍馬は来んかったな。これから来るかも知らんけど」というものがある。1期生の入塾試験を終え、「どうでしたか、龍馬は来ましたか」と一人の記者が質問した。それへの塾主の答が「来んかった」であった。今も、この言葉を思い出すと悔しくなる。塾主が望んでいた龍馬とは一体何だったのかと。

塾主は、最後の最後まで、日本と世界の行く末を心配しておられた。文明が転換しアジアの時代が来ることを早くから見通され、共産主義でも資本主義でもない第三の思想の到来を予測し、決断が遅く何事も先送りにしてしまう民主政治の根本改革を希求されていたのだ。

そういう中で塾主は、日本と世界が抱える諸問題を綜合的に捉え、解決策を順序立てて考案出来る、天才的指導者の入塾を待ち望まれていたのではあるまいか。

龍馬は、犬猿の仲にあった薩摩と長州を同盟させ、内乱を避けさせさるために大政奉還策を進言し、列強の日本侵略を見事に防いだ明治維新第一の功労者である。「次の時代を大局的に読む目」と、「物事の本質を直感的に掴む洞察力」を持った上で、その人間力を生かして救国の実践に徹したのが坂本龍馬であった。そういう人物を、塾主は欲しておられたのだと思う。

松下政経塾から沢山の議員、そして総理大臣が出たものの、これで我らの役割が終わったというわけではあるまい。龍馬を求めていた松下塾長の大志からすると、塾出身者は未だ富士山の麓(ふもと)近くを徘徊しているようなものだろう。日本と世界の危機は、益々深まってきている。本当に、このまま終わるわけにはいかないし、塾主に対する申し訳ない気持ちで胸が締め付けられそうになる。

松下政経塾出身者には、大きく分けて陽のタイプと陰のタイプがあるという。陽のタイプは政治家となって活躍している人、陰のタイプはそれ以外の分野で地道に努力を重ねている人だ。これまでは陽が目立っていたが、これからは陰がもっとがんばって、陰陽相和して松下政経塾を盛り上げねばならない。

陰の一人である私も、塾主の願いを実らせたい一心で、自ら政治家塾(林英臣政経塾)を建てた。そこでは、塾主の文明観に相通ずる「東西文明800年周期交代論」や、塾主の国家観に重なる「大和言葉の世界観」、それから武士道や中国思想を教えている。塾主が求めた龍馬を育てていこうと、決意を新たにしてくれた35周年記念行事であった。