「提言」新憲法の制定は、いつ頃になるか(前編)

◇理念と骨格を示した国の原理・原則◇

憲法は、国家の組織と機能を定めた最高法規であり、簡単に言えば、国家の目指すところ(理念)と骨格を示した国の原理・原則と言える。

社会秩序(ソーシャルシステム、略してSS)の盛衰パターンを明らかにした文明法則史学によれば、SSが誕生点を超え、骨格(国家の基本構造)が形成されていく途上に憲法が制定されている。

日本史を見ると、律令体制を採った奈良平安SSの場合、誕生点は西暦645年の大化改新で、憲法にあたる大宝律令は701年に制定された。

前期武家社会であった鎌倉室町SSの場合、誕生点は鎌倉幕府が成立した1192年頃で、憲法にあたる御成敗式目(貞永式目)は1232年に制定された。

後期武家社会であった織豊徳川SS(織田・豊臣・徳川)の場合、誕生点は織田信長が上洛した1568年頃で、憲法にあたる武家諸法度は1615年に制定された。

明治~昭和敗戦までの近代SSの場合、誕生点は1868年の明治維新であり、大日本帝国憲法は1889年に制定された。

外国ではどうか。フランス革命以後の仏資本制SSの場合、誕生点はナポレオンが実権を掌握した1800年頃であり、憲法にあたるナポレオン法典は1804年に制定された。

また、米国SSでは、誕生点は独立宣言が出された1766年頃であり、アメリカ合衆国憲法は1788年に制定されている。

◇日本は、まだ足踏み状態にある◇

こうして見ると、新しい国家体制であるSSが誕生して後、それを支える憲法が制定されるというのが、歴史の順序になっていることが分かる。これを元に考えた場合、日本はまだ新SS誕生以前の足踏み状態にあり、新憲法が制定されるのは、まだ先ということになる。中臣鎌足、源頼朝、織田信長、西郷隆盛といった、日本史の章立てを変えるクラスの大人物の登場が無く、それを支える「理念の高い政治勢力」も育っていないというのが理由である。

現下の日本は、明治以来約150年間続いている旧体制(行き過ぎた西欧化、過度の東京一極集中など)から脱却(修正・進化)出来ないでいる。また、戦後70年間続く、事実上の“米国占領下体制”からも自立出来ないでいる。これらを変えられる人物群が現れなければ、我が国はこのまま衰亡していかざるを得ない。

◇憲法が確立される前に、まず新SSの基本精神が示される◇

では、何から始めたらいいのか。先に挙げた各SSは、憲法が確立される前に、まず新SSの基本精神が示されている。

奈良平安SSでは「改新の詔」が出された。そこに、豪族による私有地・私有民を廃止し(公地公民)、国民には耕作地を貸し与えること(班田収授)などが記され、新国家の理想精神が示された。

鎌倉室町SSでは、「この度は天下の草創である」という源頼朝の決意があった。公家政治とは違う武家による政治を起こすという、革命的とも言える精神が表明されていたのだ。

織豊徳川SSでは、織田信長が「天下布武」を唱えた。信長が他の戦国大名と決定的に違っていたのは、自国領の安堵に留まることなく、大局観を天下(全国)に広げていたところにある。天下統一(天下布武)をゴールに、あらゆる手立てが講じられていった。

近代SSでは「五箇条のご誓文」が示された。体制を刷新し、公議によって政治を進め、国民が一体となって協力し合う世の中の実現が誓われたのである。

また、フランス資本制SSでは「フランス人権宣言」が発せられた。そこに自由平等、人民主権、三権分立などが唱(うた)われた。

アメリカ資本制SSでは「アメリカ独立宣言」で、独立の理由などが書かれた。

なお、憲法十七条は、国家の骨格を示したものと言うよりは「役人の就業心得」に近い。日本国憲法は“米国占領下”に制定された暫定法と見るのが妥当。どちらもSSが起こす憲法とは違う。

では、これからどういう精神を出せばいいのか、そして憲法に反映させるべきか。それは次回に。