1万2千年間、日本人は何を思想したか~日本精神の起源と、その発展

日本神道の原型となった縄文神道

世界的に見て日本は、歴史の浅い国と思われているが、約1万年続いた縄文時代を含めると、黄河文明やエジプト文明、シュメール文明やインダス文明などの代表的な古代文明を、はるかに超えて世界最古となる。

そもそも都市文明ばかりが文明なのだろうか。狩猟採集を基本にムラを形成する程度の暮らしであったものの、土器を巧みに用いた縄文時代は「土器文明の時代」と呼んでもいいと思う。土器を活用した生活は、その製造技術の高さからしても、煮炊きによる食文化の豊かさからしても、実に高度なものであり、それが広範囲に亘るとなれば、もはや立派な文明であると。

日本各地で土器文明が発生したのは、約1万2~3千年前。1万年を超える古い土器は東アジアからしか出ておらず、とりわけ日本列島は土器文明の最盛地であった。

この長い縄文時代に、日本人の持つ神道的信仰の基本形が育まれた。その内容は、第一に「太陽を拝む」ことで、太陽の運行を観測していたと考えられる遺跡が各地に存在している。第二は「天地自然に感謝する」ことで、狩猟採集生活ゆえの、自然に対する畏怖と感謝の念が湧いたに違いない。

第三は「生命に感動する」ことで、縄文時代の土偶に妊娠中の女性像もあり、子を孕みかえすことの出来る女性はカミそのものであった。第四は「先祖を祭る」ことで、縄文時代を代表する青森の三内丸山遺跡から夥しい数の墓が発見されている。日本は世界で最も先祖供養が盛んな国であるが、それは縄文以来の伝統なのだ。

第五は「物に霊性を認める」ことで、縄文時代には火炎土器や石剣・石棒など、実用に向かない器具が多く作られた。それらは神々を祭るための祭器と見られている。あるいは、山や巨石群、巨木のある森や枯れることのない泉など、エネルギーの強い場も信仰の対象であった。いろいろな物が内に秘めている霊性(内面的価値)を認めたのである。

これらの「ものの見方や考え方」は、日本神道の原型となった。縄文神道と言うべき、素直にして神々しい精神が存在したのである。

まさに縄文人は、日本人の祖型であった。かつて唱えられていたような、渡来人が在来の縄文人を追いやったという推測は、今ではすっかり否定されている。在来の縄文人が、水田稲作や金属器の使用などの弥生文化を、積極的に導入したのが事実であった。

神武創業の精神が示す、日本と日本人の使命

次に弥生時代。最近の研究によって、その起源となる時期が次第に古くなっている。国立歴史民俗博物館が実施した最新の科学的測定法によって、紀元前800年前後から弥生時代が始まったという結果が出た。

これは、でっち上げという批判があった神武天皇の東征と即位が、歴史的事実となる可能性を導くという意味で、極めて重要な測定結果であった。

我が国には「皇紀」という歴史の数え方があり、神武天皇即位の年がその紀元となっている。今年(西暦2018年)は皇紀2678年だ。今から2678年前ということは、西暦紀元前660年であり、従来の歴史区分では縄文時代の晩期となる。

縄文時代は、まだ金属器を使っていなかった。でも神武天皇の神話の中に、金属器の剣が出てくる。紀元前660年は縄文時代なのだから、金属器が使われるわけがなく話が合わないと。だから神武天皇の話は、でっち上げだと批判されてきたのだが、弥生時代の起源が古くなることによって、この神武紀元を十分カバーする観測結果が出てきたのである。

神武天皇は「六合開都 八紘為宇」という創業の原点を示された。上下四方(六合)の中心となる都を開き、世界全体(八紘)を一つの家(宇)と為そうという意味だ。ここに、日本と日本人が、世界平和と人類進化に重要な役割を持っていることの原点=根拠がある。

三種の神器は、日本的政治の基本精神を表す

また、弥生時代の終わり頃に存在したという邪馬台国について。筆者は、魏志倭人伝に載っている邪馬台国は九州にあったと見ている。邪馬台国の女王である卑弥呼の存在時期は、西暦2世紀末から3世紀前半とされている。それとほぼ同時期にあたる3世紀中頃から、畿内では古墳時代(大和時代)がはじまっている。

従って、九州は邪馬台国、畿内は大和朝廷というのが、当時の構図ではないかと思う。それは、本家と分家の関係にもあたるだろう。九州は本家、畿内は分家であったが、やがて地の利を得た畿内が、全国の統一を進めていったと。

西暦4世紀頃に大和朝廷の版図が広がっていき、その統一は大きな争いも無く平和理に進んでいった。もともと本家と分家の関係であったことによる共通基盤の存在が、大和朝廷をミナカとする豪族連合政権の形成に大きく働いたのだろう。

その共通基盤に「三種の神器」があった。三種の神器は、鏡と玉(勾玉)と剣だ。それらを尊ぶ文化は九州から起こり、やがて畿内に伝わって古墳の副葬品となった。三種の神器は、ただの工芸品ではない。鏡はマコト、玉は真心や愛情、剣は勇気と正義の象徴として、神器とされたのである。これらは、日本的政治と日本的経営の基本精神と言っていい。

かつて畿内には銅鐸文化があった。ところが、銅鐸は忽焉と姿を消し、青銅器は鏡や剣などが主体となって“九州化”していく。そこにも、九州から畿内への連続性が認めらよう。

天皇を尊崇する国体観の醸成

大和朝廷による古墳時代は、文明法則史学では「上古SS(西暦3世紀前半~6世紀末)」にあたり、かつては大和時代とも呼ばれた。巨大な前方後円墳が築造され、オホキミ(天皇)の権威は最高潮に達した。※SSは社会秩序(ソーシャルシステム)の略。

人工的で壮大な前方後円墳の築造は、まさに土木美術そのものであり、その副葬品は工芸造形美術の高さを示した。

この古墳時代に形成されたのが、天皇を尊崇する国体観だ。上古SSが衰退期に入る頃、武烈天皇(第25代)に子が無く、皇位継承者がいなくなった。そこで政治家の大伴金村らは、越前の国にいた応神天皇5世の孫(オホド王)を迎えて即位させた。それが継体天皇(第26代)である。

皇位継承者がいないということは、有力者にとって権力の頂点に立つ絶好のチャンスだったろう。だが、天皇に取って代わるという発想は、当時の日本人には無かった。それよりも、男系男子の血筋の者から、天皇に相応しい人物を捜し出すことに意識が向けられたのである。

仏教の、世の為人の為という精神

奈良・平安時代は、文明法則史学では「古代SS」にあたる。この時代が育んだ日本の心として、仏教精神に注目したい。

日本仏教の基を起こしたのが聖徳太子だ。太子は、仏教の慈悲の心と利他大乗(世の為人の為)の精神によって、日本人の意識レベルを向上させようした。それが奈良時代の若々しい国家仏教(国家鎮護)、平安初期の密教(真言宗と天台宗)、さらに平安中期に広がった浄土信仰へつながった。

密教は、宇宙と人間を結んで超人を育てようとする、人間大肯定の情熱的な仏教だ。浄土信仰は、末法思想の流行と平安時代衰退期の社会不安が背景となって広まり、この世に絶望した人々の救いとなった。

こうして奈良・平安時代に発展した仏教は、やがて浄土宗、浄土真宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など鎌倉仏教の誕生を導き、武士や庶民に至る日本人の信仰の基本となっていた。仏教思想が、日本人の人生観に与えた影響は大変強いものがあった。

枯れゆくものや、消えゆくものに寄り添う細やかな感性

鎌倉・室町時代は、文明法則史学では「中世SS」という。鎌倉時代は、武家政権らしい簡素で質実な趣を持っていた。

鎌倉時代末から南北朝時代にかけて登場した、河内の豪族の楠木正成や、公家であり武士でもあった北畠親房らは、後醍醐天皇と南朝への強い忠誠心を表した。武士による日本人の国体観が、ここに示されたのであった。

この中世の時代、幽玄な精神が世を覆った。この世とあの世をつなぐ能楽、茶の湯(侘び茶)、枯山水などの文化に、日本人の一面である、侘(わび)寂(さび)の枯淡の趣が現れた。枯れゆくものや消えゆくもの、淡いものや儚いものに気持ちを寄り添えていく日本人の細やかな感性は、特にこの時代に養われたのである。

町人や農民、庶民の活力と、日本儒学や武士道、国学の発達

織豊徳川時代は、織田信長の上洛から始まり、豊臣秀吉を経て徳川時代へ続いた。文明法則史学では、これを「近世SS」と呼ぶ。

この時代の特徴は、町人文化の繁栄にある。元禄文化は上方の有力商人が中心となって栄え、その後、江戸の町人が主役となる化政文化が起こった。浄瑠璃や歌舞伎、川柳や庶民文学流行などが町人文化の内容だ。

その町人の活力は、農民の豊かさと相俟って、明治以降の近代国家の成長や、大正時代の国民文化の創造に影響を与えていったと見ていいだろう。

それから、徳川期の日本儒学の確立は、武士のみならず日本人全体の徳性向上をもたらした。山鹿素行の日本学や、九州鍋島藩の『葉隠』に見られる、武士道の思想的発展も著しかった。

市井の学として発達した国学は、万葉集や古事記などの研究を通して日本精神の深化に大いに貢献し、大和言葉の音義学の究明にもつながった。

戦後はアメリカ占領下時代

明治・大正・昭和20年までの歴史区分を近代という(近代SS)。明治維新以降、デモクラシ-・自由・平等・個人主義などの西欧思想が怒濤のように流入。マルキシズムやアナーキズム(無政府主義)も流行した。昭和に入ると、急速な西欧化への反省から日本回帰の活動が起こされたが、軍国主義ともつながり敗戦と共に勢いを失った。

現代と呼ばれる戦後は、焼け跡からの復興期に上り坂があり、西暦1980年代に戦後の繁栄が頂点に達し、バブル経済期を迎える。西暦1991年頃、バブル経済は崩壊。御代は昭和から平成に変わり、失われた20年という閉塞期が続いた後、西暦2010年頃から危機の心理が日本を覆うようになった。リーマンショックや東シナ海などの緊迫化、東日本大震災の発生などが危機感を強めた。

すっかりアメリカナイズされた戦後という時代は、後世、70年を超えるアメリカ占領下時代と見なされることになるだろう。

各時代層から基底文化を汲み上げよ

これから新日本SSを誕生させるためには、以上の各時代層から、もれなく基底文化を汲み上げる必要があると思う。縄文神道、三種の神器の精神、国体観とミナカ思想、日本仏教の慈悲・利他の心、幽玄で枯淡な美意識、日本儒学の高徳の教え、日本武士道精神、国学と大和言葉、さらに近代思想の日本化による東西融合の綜合思想などがそれで、これらを余すところなく生かし切るべきである。

縄文神道から近代思想に至るまで、日本人は以上の内容を思想し、多くを自家薬籠中のものとして練り上げてきた。これから向かうべき方向と日本人の使命は、重層的な基底文化から必ず発見されるだろう。我が国は、立ち位置さえ取り戻せば可能性に満ちているのだ。