No.39 身に降りかかってくる出来事の何割かは、自分が招いている

生地にいる人、死地にいる人、生地から死地に移動する人

「生を出て死に入ることがある」というのは、生きていくことが可能な状態を離れて、死んでいく状態に移行することがあるという意味です。前者の生命力に満ちた場を「生地(せいち)」、後者の死滅へと向かう場を「死地(しち)」と言います。

「生にいる人々が十に三はおり、死に向かう人々も十に三はいる」。これは、生地にいる人と死地にいる人が、それぞれ三分の一ずつ存在しているという説明です。長生き出来る生命力、生き延びる運氣を持ち、長寿を全うしうる人が約三分の一、夭死・若死になるであろう人が約三分の一いるというのです。

さらに「人の生において、(生地から)移動して死地に行く者もまた十に三はいる」と説明が続きます。本来は生地にいながら、そこから死地に移ってしまう者が、これまた三分の一はいるとのことです。

これらをまとめれば、生地にいる人が約三分の一、死地にいる人が約三分の一、元は生地にいたのに死地に移動する人が約三分の一ということになります。(十に三は三割という解釈もありますが、三分の一という意味に取っておきます)。

災難に心の周波数を合わせているのが原因

では、生地にいるはずなのに死地へ移ってしまうというのは、一体どういうケースを指しているのでしょうか。

生地にいるとは、基本的に生命力が旺盛で心身の健康状態が良好、本人に与えられた時代が平和で、環境においても危険が少ないといったことを意味します。仕事に危険が無いとか、回りに乱暴者がいないといったことも重要です。そうして、長生き出来る境遇となっておれば、それが生地にいるということになります。

ところが、生地から死地に移る者がいるというのです。安全から危険へ移行することがあるとすれば、やはり何らかの理由があります。

まず考えられることは、感情や性格における原因です。短気なため、何かとトラブルが耐えないとか、悲観的な性質であることから、つい災難を呼び込んでしまうといったタイプの人がいます。

やたらに災難に遭う人は、災難に心の周波数を合わせているのが原因とも言われています。意識をそういうレベルに同調させてしまっているのです。個々人の生き方ではどうにもならない大きな災害や事故は別にして、通常の生活の中で身に降りかかってくる出来事の、その何割かは自分が呼び込んでいるのではないかと思うのです。(続く)