No.49 ものに動じない強靱な人生

目や舌のために生きているだけの人生

先に述べた通り、五感を司る目や耳、鼻や舌、皮膚(痛点・圧点・温点など)などの感覚器官は、本来身を守るために存在しています。この五感を正常に働かせる上で、大事な注意事項があります。

それは、五感に対して自分本体が主人でいるように、ということです。
ちょっと油断すると、いつの間にか主客入れ替わって、目や舌のために生きているだけの人生に陥ってしまいかねません。

それは、心が主人の座を失った状態と言えます。目で見た物、耳で聞いた音、鼻で嗅いだ匂い、舌で受けた味、皮膚に感じた感覚。これらは、あくまで自分に届けられた情報に過ぎず、それをどう生かすかは心が決めることです。

その主人であるはずの心が鈍り、感覚器官が感受する快感に翻弄(ほんろう)されますと、目は美醜に囚われ、耳は刺激的な音を好み、鼻は魅惑的な香りに惑い、舌は濃厚な甘味に酔い、皮膚は柔らかな刺激しか望まなくなってしまいます。

欲望の入り口を閉ざせば、微小なものが見えてくる

私たち人間も生物の一員であり、生き抜くために食欲や性欲が与えられています。それらの欲望が無ければ、生命力は喚起されません。でも、欲望を本能のままに発揮していたら、我々は目や耳や舌などの奴隷と化してしまうでしょう。

そうならないためには、一体どうしたらいいのか。老子は、欲望の入り口となる感覚器官を閉ざせと言いました。目や耳や舌を抑えれば、無欲や寡欲(少ない欲)になることが出来ます。そして、飽くなき欲望のために自分を見失ったり、現象に囚われて本質を観る目が曇ったりすることが少なくなるでしょう。

では、心が主人の座を取り戻せたらどうなるのか。老子の教えによれば、欲望に囚われなくなることによって、微小なものが見えてくるとのこと。感覚や感性が素直になることで、微妙なものを察知出来る能力が高まるというわけです。

と同時に、ものに動じなくなります。「ものに動じない」とは、心が感覚器官に幻惑されない状態のことです。名誉や利益に釣られなくなるということや、世間の評判に一喜一憂しなくなるというのも同じことです。

そうして、つまらないことにあくせくすることなく、気持ちを柔らかにしていられるようになれば、強靱な人生が開かれてまいります。柔を守って強になるということです。(続く)