No.50 自分の身体から光が出ている

眼光は、目から放射される光

「光を用いて、明に復帰すれば、身の禍(わざわい)を遺すことがない」。
この文の「光」は、自分から発せられる光のことです。自分から光を出すことによって、回りを明察していくというのです。

自分の身体から光が出ているなどというと、荒唐無稽な話と思われるかも知れません。が、光でなくとも熱は出ています。それが、オーラと呼ばれる光になっているとも言えます。あるいは、眼光という言葉があります。目から放射されている光のことです。

意識も、念子というエネルギーになります。何かに意識を注ぐことによって、自分からエネルギー(=光)が発せられ、それによって五感がより鋭敏に働くわけです。

大和言葉では、人間のことを「ヒト」と言います。「ヒ」は火や日のヒ、「ト」は止まる、留まるのトです。ヒは光のヒでもありますから「光の集合体」がヒトなのです。であれば、ヒトから光が出ているのは当然のことであり、達人ほど光を放射する力を持っているということになります。

しっかり氣を張れ

そして、その放射された光がセンサーのような働きをして、達人ならば殺気を感知し、足を踏み入れてはならない危険を予感し、ごく自然に禍を避けていくことになります。そうして、我が身に禍や不幸が降りかかり難くなるというわけです。

また、何かの行きがかりで禍にあうことがあっても、光を放ってさえいれば、慌てないでそれを受け流し、問題を乗り越えていく冷静さを持てるようになるでしょう。光を放っているとは、しっかり氣を張っている状態のことであり、志や夢、理想を失っていない有様(ありさま)のことです。

兎に角、苦しいときほど、目的や目標を見失わないよう遠くを望みつつ、じたばたしないで今やれることをやるという達観が求められます。

本章最後の言葉は、「これを常(の道)に入るという」です。「常(の道)に入る」の「常」は変わることのない道、「入る」はそこに立ち返る様子です。
根源を掴み、五感の主人公となり、細やかさを察知出来る自分になれば、幽玄で奥深い道の働きに従う生き方そのものとなれるという次第です。
(続く)