No.53 権力には、人間性を変えてしまう働きがある

国民が幸せになることが指導者の喜び

さて、大道は己ばかりか、広く皆を救う道でもあります。小道では自分しか救われませんが、大道なら多くの人々を助けることが出来ます。それが政治であれば、権力者だけが富貴になるのではなく、広く民衆が幸福になる道が大道となります。

この、国民が幸せになるというところに指導者の喜びがあり、人々が苦しんでいる内は幸福感を味わうことが出来ないというのが東洋、とりわけ日本における指導者の精神です。国民に後れて豊かになってこそ、はじめて指導者としての生き甲斐を味わうことが出来るというわけです。

ところが、なかなかそういう権力者ばかりではありません。「政庁がひどく綺麗だと、田は荒れ放題で、食糧倉庫は空となる」と。政府の建物が大変豪華であれば、それは国民に大きな負担が掛けられた結果なのですから、国民は疲れ切って田畑は荒れていきます。当然のこと収穫は減り、食糧の備蓄は底をついてしまうことになります。

政庁は基本的に質素で構わない

人々の苦しみをよそに、自分たちばかりが贅沢に生きようとする為政者は、どんな時代にもいます。歴史を見れば社会秩序の衰退期に、名利に囚われた権力者が、より多く出現しています。彼らは国民の幸福を本気で願っているようには見えませんし、感性が鈍感というか麻痺していて、そもそも人々の痛みが分からないのではないかとさえ思われます。

国家を統一するためには一定の権威が必要であり、どこの国でも権威のシンボルとして宮殿や城の類が建てられます。外国からの賓客を迎える際に、儀礼上、立派な迎賓館が欲しいのも分かります。

しかし、それらは外向きの建物であって、政治家や役人が働く政庁は、税金で建てられるのだから基本的に質素で構わないはずです。安普請でいいというのではありません。質実剛健にして機能的であれば、それで十分だろうと言いたいのです。

本物の指導者となるための学問が必要

実際にはどうかというと、為政者たちは豪華な服を着、これ見よがしな武器を帯び、贅沢な飲食に飽き飽きし、賄賂によって収奪した財貨を持て余しています。これでは驕り高ぶった盗賊と少しも変わらず、道に外れた状態と言わざるを得ないと。

権力には、人間性を変えてしまう力があります。命令で人々が動く快感、地位に就いているということ自体の喜び、自分は下々とは違うという誤った自尊心。地位さえ守っていれば、決して金銭には不自由しないという自己本位な意識。それらが大きくなると、いつの間にか初心を失い、謙虚さや反省心を置き忘れ、感謝や報恩の念が消えていくのです。

指導者には、本物の指導者となるための学問が必要です。私利私欲に生きるだけなら全くの偽物、私心を超えて公利公欲に生きてこそ本物となります。仁や義の心、さらに老子が教える無や柔の精神をよく体得し、それらを指導者としての行動の基準と出来るよう、自己成長に努力しましょう。(続く)