No.54 命も、官位も、金もいらない

世間から気の毒に思われるくらいで丁度いい

為政者というものは、贅沢を戒め、世間から気の毒に思われるくらいでなければいけない。そう諭したのは、明治維新第一の英傑・西郷隆盛です。

「万民の上に位する者は、慎み深く、品行を正しくし、驕奢を戒め、職務に努めて国民の手本となり、人々からその働きぶりが気の毒に思われるくらいでなければ、政府から出される命令は行われ難いものだ。

ところが、まだ新政府の草創期にありながら、為政者たちは立派な家屋敷に住み、豪華な衣服を身に纏い、美しい妾を抱え、蓄財に励んでいる。これでは維新の功業は、成し遂げられないまま終わってしまうだろう。

今となっては、戊辰の義戦も、全く私利私欲のために起こしたかのような姿に成り下がり、天下に対しても戦死者に対しても合わせる顔がない。」
(『西郷南洲遺訓』財団法人西郷南洲顕彰会編1ページを元に筆者が現代語訳)。

大西郷は、そう語りつつ何度も涙を流されました。老子の為政者に対する批評と全く同じであり、いつの世にも初心を失ってしまう権力者がいるのです。

最初に本物の志が無いから、最後に醜い姿をさらけ出す

地位が上がり裕福になると、傲慢不遜になっていく。しかし、そういう人は途中で初心を見失ったのではなく、本当は最初から本物の志を立てていなかったのではないでしょうか。最初に無いものは最後まで無いのであり、最初に本物の志が無かったから、最後に醜い姿をさらけ出すに至ったというわけです。口では世のため人のため、天下国家のためなどと言いながら、本心では出世欲と利欲を第一に生きている輩がそれです。

大西郷は、命も、官位も、金もいらないということを人物の条件に上げました。「殺すぞと脅しても怯まない、地位や金銭で釣ろうとしても乗ってこない。そういう人は始末に困る。が、この始末に困る人物でなければ、苦労を共にしての国家の大業は成し遂げられない」と。(『西郷南洲遺訓』財団法人西郷南洲顕彰会編25ページを元に筆者が現代語訳)。

この始末に困り、手に負えないという人物は、平凡な欲得を超えたところに生きています。だから西郷さんの言う通りで、凡俗の眼には変わり者くらいにしか思われません。

しかし他人が何と言おうが、ひたすら天を相手に、自分の進むべき道を全うする人物が必要なのです。松下翁は、次のように立志の人を励ましました。

「人のすることして、人の食べるもの食べて、人と同じように生活する、そういう普通の生活をしていては、ことを成功させることはできんもんや。ましてや世の中を考えることはできん。」(江口克彦著『松下幸之助【随聞録】心はいつもここにある』PHP文庫94ページ)。(続く)