No.60 それぞれの段階に合った道の生かし方がある

大国は、道に反してまで今以上に大きくなろうとはしない

我が身、家、郷里、国ときて、さらに「道」を「天下に修めれば」どうなるでしょうか。老子は、その徳はどこまでも広く行き渡ると言いました。

中国にあって「天下」とは、国々が覇を競い合う地上世界のことです。
そこでは、大国と小国がひしめき合って、合従連衡(がっしょうれんこう)を繰り返しています。大国はライバル国を倒して天下取りを志し、小国は小国で大国に飲み込まれないよう生き残りに必死となります。

そういう現実の中で、天地自然の原理である「道」を修めるとは、一体どういうことでしょうか。結論を言えば、大国は道に反してまで、今以上に大きくなろうとはしない。小国は道に従って個性を生かし、自立を維持していくということになります。

大きいから価値が高いとは言えず、小さいから意味がないとは言えない

人為で無理矢理広げるのではなく、自ずと大きくなるのが道のあり方です。
自然界に存在するもの一切が、あるがままに生きております。その環境に合ったものが発生し、そこに与えられた条件に従って素直に成長していくのです。

ある地域に大国が勃興するのも、小国が存続するのも自然の働きです。
大小に関わらず、自然環境や気候風土に順応して誕生するのが、国というものの成り立ちです。即ち、道の現れに他なりません。

これが大事なことですが、大きいから価値が高いとは言えず、小さいから意味がないとは言えないのが、国家というものの本来の姿です。

大国は、ただ図体(ずうたい)が大きいというだけでは、何の価値もありません。その国力を天下の生成発展に生かし、回りの国々から尊敬されてこそ、大国として存在することの意味が明らかになります。

小国は、国土が小さく人口が少ないからといって、価値まで小さいと決め付けてはいけません。その個性を存分に生かし、回りに徳=得を与えたなら、小国として存在することの意味が存分に輝いてまいります。

大国に注文したいことがあります。それは、小国に対して力で圧迫したり、大国の文化や価値観、制度や手法を、闇雲に押し付けたりしないで欲しいということです。道の働きのまま自然に大国の文化が小国に伝播し、好影響を与えていくべきであって、一方的な大国意識による過干渉は困ります。

地方には、その地方特有の「徳」がある

国内の中央と地方の関係にも、同じことが言えるでしょう。明治維新以来の東京一極集中で、日本全体に画一的な価値観が及びました。それが、果たして良かったのかどうか。近代国家の建設を統一的に進めることは時代の要請だったのですが、その反作用として、地域それぞれの風土や歴史、伝統文化、言語(方言)や人情が消えてしまいました。

どの地方にも、その地方特有の「徳」があります。徳は、その地域に根ざしたものの中から起こります。地域に合ったものだからこそ、普く行き渡ることになります。それが、道の働きなのです。

こうして本章には、それぞれの段階に合った道の生かし方が示されていました。その締め括りは、道でもってそれぞれをよく観察するようにという教えです。「身を(修める道で)もって我が身を観察し、家を(治める道で)もって家を観察し、郷里を(修める道で)もって郷里を観察し、国を(修める徳で)もって国を観察し、天下を(修める徳を)もって天下を観察するのだ」と。
大きな物差しは大きな物に当て、小さな物差しは小さな物に当てよというわけです。

老子は、道が何にでも働いているということに確信を持っていました。
「我は何でもって、天下がそうであるということを知るのか。それは、こういうこと(道の効果)をもってである」と語ったのです。天地自然も天下国家も人間社会も、それらをそのようにあらしめている道の働きがあるのだから、それを迷うことなく掴みなさいと自信を持って教えたのでした。
(続く)