No.63 無理は禍(わざわい)の元

大人はストレスを貯め込む一方

いくら泣いても声が枯れない。全身で泣くことによって、エネルギーのバランスを取っている。余分なエネルギーを残すことなく使い切れば、コロッと寝てしまう。それが赤子に見る調和の取り方です。

それに対して大人たちは日常、大声で泣くことが許される環境にいません。つまらないことにくよくよし、不満なことにイライラしながら毎日を送っており、ストレスを貯め込む一方です。そして、加齢と共に体力が低下し、邪気が心身に蓄積していきます。大人は、そういう煩雑な中で生きていかねばならないのですから本当に大変です。

そうなると、心身を癒してくれるはずの副交感神経は働かず、交感神経は緊張しっぱなしとなります。それは「調和」とは程遠い状態です。

そのままではいけませんから、何とかして「調和を知る」ところまで抜け出す必要があります。道の働きによって、心身を本来の状態に復帰させねばならないのです。

こちらが欲で接すれば、相手も損得勘定で付いてくるかどうかを決める

道というものは、いつでもどこでも常に働いています。「常(つね)」とは、無窮である道のあり方を表した言葉です。この常を知ることを「明察」と言います。

道を明察しませんと、何事に付け無理が生じます。無理に「生命を増益させようとする」のがそれで、結局「禍(わざわい)」が生ずる元になります。本人の持っている徳(能力や資質)に応じて「氣」、すなわちエネルギーを注入するのはいいのですが、無理矢理活性化させようとすれば、やがて身体が持ち堪えられなくなります。栄養剤を与え過ぎたり、副作用のある筋肉増強剤を使い過ぎたりするようなものです。

また、気力においても、欲得の心でこれを使ってばかりいると、自己本位の生き方が積み重なっていき、どこかで落とし穴にはまることになります。こちらが欲で接すれば、相手も損得勘定で付いてくるかどうかを決めてきます。そういう自分中心の考えで気力を用いるのも、やはり道に外れた人為の一つです。これを老子は「強引」と言いました。

無理に盛んにしたものは、それが何であれ必ず衰えます。理由は「道に外れている」からで、「早く終わってしまう」ことになるのです。(続く)