No.65 世の中、汚れているほうが有り難い…

世の中を良くしたいのか、良く泳ぎたいのか

世の中を良くしたいのか、それとも世の中を良く(上手く)泳ぎたいのか。どちらも社会を相手にしている点では同じなのですが、原点に大きな違いがあります。

世の中をプールに置き換えるならば、前者はプールの汚れた水が気になって、それを綺麗にしようと努力する人のことです。それに対して後者は、プールの中で巧みに泳ごうとしているだけで、水の汚さには殆ど目が行きません。それどころか、汚れているほうが泳ぎ易くて有り難いとまで思っているふしがあります。

そして、前者の生き方にはブレというものがありません。地位や利権といった、世の中の汚濁に繋がりがちなものに左右されない正義感や、筋を通す上で基準となる、信念の軸といったものを持っているのです。

後者はというと、どうやって名利を得てやろうかという私欲に汲々としています。早く偉くなりたい、もっと目立ちたいと思っており、どこかに金になりそうな話はないか、羽振りよく暮らせる方法はないかと目を凝らします。

要するに、損得勘定を基本に動いているのです。どちらに行ったら儲かるか、誰に付いて行ったら身の安全を図れるか、といった観点で生きているのですから、どんどんブレていくことになります。

当然のことながら、道家の達人に至るのは前者のタイプです。後者では、人脈の多い情報通や、世話好きな便利屋さんくらいにはなれるでしょうが、老子が認める人物にはなり得ません。

では、道家の達人とはどういう人物なのか。それについて説かれている、『老子』第五十六章を学んでまいりましょう。

知る人は言わない、言う人は知らない

《老子・第五十六章》
「(道を)知る者は言わず、言う者は(道を)知らない。(目や耳など身体の)穴を塞ぎ、(欲望の)門を閉じ、鋭さを挫き、紛れを解き、光を和らげ、塵に同化する。これを玄妙なる合一という。

(玄妙なる合一を)得たならば、(その者に)親しむことも疎んずることも出来ない。利益を与えることも、危害を加えることも出来ない。(地位を上げて)貴ぶことも、(地位を下げて)賤しくすることも出来ない。だから天下の高貴となれるのだ。」

※原文のキーワード
穴…「兌」、同化…「同」、玄妙なる合一…「玄同」、疎んずる…「疏」、出来ない…「不可」、利益を与える…「利」、危害を加える…「害」、高貴…「貴」
(続く)