No.71 志が本物であるかどうかを天が試している

天命と命懸けで対峙する場

西郷隆盛は沖永良部島の牢獄の中で、心胆を練るべく一心に勉学に打ち込みました。その当時、沖永良部島に流されたということは、生きて鹿児島に戻る可能性が極めて乏しいということでした。

最早、偉くなろうとか、権力を振るいたいとかいう私心は持ちようがありません。それまで学んできた立身出世の勉強とは、全然違うものへ向かうことになりました。牢獄は、一切の俗世間の雑音が断たれた、天命と命懸けで対峙する場です。西郷は、純粋に胆識の養成に没入していったのです。

読みふけった本は、四書五経ばかりではありません。幕末志士たち共通の師であった、佐藤一斎の言志四録もありました。また、座禅や詩作にも励みました。

身動きの取れない不遇なときこそ、天の試練、つまり天に試されているときです。自分の志が本物であるかどうかが問われているのであり、そういうときは、ぐっと奥歯を噛み締めて辛抱し、腐ることなく諦めることなく、落ち着いて自己を養いましょう。そうすれば、必ず後に活躍のときが巡ってまいります。

何を以てしても全然動じないというのが人物の条件

元々大きな度量を持っていた西郷は、この困難な時期を経て、さらに大人物へと成長を遂げました。大人物であれば、外からの圧力で志を失い、名利に惑わされて初心を曲げ、権力者の奴隷になってしまうというようなことがありません。

要するに、何を以てしても全然動じないというのが、人物の大事な条件なのです。それを見事に表した言葉が「西郷南洲翁遺訓」の中にあります。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。去れ共、个様の人は、凡俗の眼には見得られぬぞ…」
『西郷南洲翁遺訓』編集発行・財団法人西郷南洲顕彰会25ページ

「始末に困る」というのは、どうにも動かしようがないという意味です。
殺すぞと脅そうが、名誉や地位などのアメで釣ろうとしようが、全然こちらに靡(なび)いてきません。大金を目の前に積んだところで、少しも振り向いてくれないのですから、もうお手上げであると。しかし、そういう志操のしっかりした人物であるからこそ、同志として苦労や困難を共にし、団結して国難を救っていくことが出来るというわけです。(続く)