No.74 幼いときは規制、成長したら自主性

出来ないことは出来ないと、はっきり言えるかどうか

政治家の仕事は、有権者の要望や苦情をよく聞くことからはじまる。
そして、訴えを受けたら、あれこれ世話を焼くこと。今まではそれが、政治家の取るべき基本動作であると考えられてきました。

「よろづ世話焼き業」が、議員の仕事の一つであることは確かです。
苦しんでいる市民は、政治家に救いを求めます。自分の努力だけではどうにもならないところに追い込まれ、助け手がいないまま困っている市民が求めて来たら、誠意を以て救いの手を差し伸べる。そこに政治家の使命があるのは当然です。

しかし、何事も度を超すと大変です。議員が全員「御用聞き政治」ばかりやってしまったら、一体どうなるでしょうか。沢山の議員が個々に支援者の要望に応えていくのですから、行政の仕事は右肩上がりにどんどん増えていくばかりとなります。

それが政治家による「手出し」であり、政治家が熱心になるほど、政治が利益誘導の代名詞と化してしまうのです。やがて、市民は何でも政治家に頼るようになって、政治という仕事自体が小粒化していくことになるでしょう。
個々人を助けることには熱心でも、国家や国体を救うことには程遠くなってしまうというわけです。

そうならないよう、出来ないことは出来ない、やれないことはやれない、してはならないことはしない、などとはっきり言えるかどうかです。
そもそも、真面目に働くほど損をしたり、正直者が馬鹿を見たりすることのないよう、全体を調整するのが「世話焼き」の意味ではないかと思われます。
政治家の親切が徒花(あだばな)となって、世の中の生成発展を遅らせてしまうようなことになっては何にもなりません。

人としてあるべき基本は低年齢でしっかり教えよ

いわゆる「規制」については、専門家ですら詳細が不明になるほど業務が複雑化すると、どうにも身動きが取れなくなります。規制というものは、乱立による共倒れを防ぎ、資格を持っている者の行為を守ることで、社会と国民をガードするためのものです。それが行き過ぎて、既得権益を保持するだけの内容となったり、新規参入者を頑固に排除してみたり、それによって社会全体を硬直化させたりということでは埒が開きません。

教育においても、もっと規制が必要なのか、出来るだけ自由がいいのか。
これは、明治にデモクラシーやリベラリズムが入って来て以来のテーマとなっております。

結論を言えば、小さいときに規制、大きくなったら自主性です。言葉が分かってきた幼稚園年齢くらいの幼いときに規制なり抑制を教え、成長するに従って自主性を重んじていくのがいいと思うのです。

何がいけないことで、何が大切なのか。人としてどうあるべきか。
そういう基本を低年齢でしっかり教えるのです。挨拶はしっかり、履き物は揃える、目上の人には丁寧に、嘘はつかない、約束を守る、人を傷付けない、弱い者イジメは決してしない、高齢者や弱者を助けるといった徳目。あるいは、待つことや我慢することの大切さ、有名であるかどうか、お金持ちであるかどうかで人を評価しない、といった価値観を幼い内に体得させたいものです。(続く)