NO.78 150年近くに及ぶ東京一極集中で、地方はボロボロ

閉塞感に満ちた政治を、根底から変えるときが来ている

老子が言う「あれこれ手出しをしないで、放っておく政治がいい」という考え方。これは、地方分権の理念にも当てはまると思います。政治の東京一極集中を脱し、権限を思い切って地方に移して、その自立を図るというのが地方分権の目的です。

地方分権では、国家の第一の仕事である外交や防衛、中央の監督が必要な教育や金融、広域に及ぶ社会資本の建設といった分野以外は、多くを地方の裁量に任せることになります。中央は地方に対して余分なことをせず、出来るだけ地方の自立を助けるのが役割となるのです。

その際、地方財政の自立が不可欠であり、地方に必要なお金は可能な限り地方で調達するのが原則となります。今まで補助金や交付金を貰うため、東京に陳情する政治が続きました。選挙区と中央を結ぶパイプの太さが政治力の物差しだったのですから、地方政治が中央依存体質になるのも当然でした。その上、規制が多くて、地方の判断では何一つ決められないというのですから、窮屈さは推して知るべしです。

中央がお金を握り、同時に優秀な人材を吸い上げていく。結局これを150年近くやりました。近代国家の建設と地方の均質化のためには、それが必要だったのですが、明治以来続いた東京一極集中体制によって地方はボロボロ。どこの自治体も借金まみれです。この閉塞感に満ちた政治を、根底から変えるときが来ているのです。

便利な機器は、人間の特性を助けるべきもの

それから「民に便利な機器が多くなると、国家は益々昏くなる」ということですが、そもそも便利さとは何なのかについて考えておかねばなりません。
便利な機器は、人間の特性を助けるべきものであって、人間の心身を堕落させたのでは何にもならないと思います。

例えば、パソコンや携帯端末は、とても便利な機器です。何か調べたいことがあると、昔なら図書館にでも行かなければ分かりませんでした。今は、大抵のことならインターネットで瞬時に確認出来ます。

でもその分、パソコンや携帯端末を操作する時間が多くなり、目の疲労や肩凝りを訴える人が格段に増えました。根を詰める座り仕事というものは、眼精疲労や首肩の凝りと共に精神も疲れます。

そういうときは、心身のバランスを取るため、スポーツジムに通ったりします。
スカッとしてストレスが解消され、疲労回復にも役立つのですから、とても好ましいことです。筆者も、以前は合気道の道場に通っていましたし、通う暇が無くなった今でも、一人稽古をこつこつ行っています。(続く)