No.82 悪は叩くだけでいいのか?

町明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまう

「悶悶」としてしまう政治の例として、暴力団対策があります。ただ明察に取り締まるだけでは、別の問題が起こってしまうようです。恐ろしい悪事を働く暴力団を放っておいていいはずがありませんし、取り締まらねばならないのは当然なのですが、単純に団体を壊滅させれば済むというものでもないとのこと。

暴力団の力が弱まると、半グレなどと呼ばれる不良青年たちが、我が物顔に幅を利かせるようになります。中国マフィアなど、外国人勢力が台頭する場合もあります。結局、裏社会の実権が暴力団から別の集団に移っただけで、問題は少しも解決していないどころか、むしろ悪化するケースすらあるのです。

厳しい掟のある暴力団には、一定の秩序と、それを保つための統制がありました。それが、暴発しそうな若者に対する抑えにもなっていたという一面があるのです。上からの抑えが無くなれば、若者の乱暴に歯止めが利かなくなるということは自然の理でしょう。

また、組織がしっかりしている暴力団に比べ、人の出入りの激しい不良集団や、簡単に海外に逃げてしまう外国人勢力では、警察としても実態を掴みようがありません。情報も乏しく、犯人の検挙率も下がってしまいます。日常的な危険にさらされ、迷惑を被ることになるのは国民です。

暴走族のリーダーであった若者に、青少年の指導を担当させよ

かつて江戸の町などでは、町の顔役に十手(じって)を渡して、悪事の取り締まりを手伝わせました。その中に、博徒の親分もいたとのこと。親分衆が正義の味方になれば、元々貫目の大きい人たちなのだから、これほど心強いことはありません。悪を用いて町の治安を維持していこうという“大人の知恵”でした。

平成の今日も、暴走族のリーダーであった若者に、青少年の指導を担当させるなどしてみたら如何でしょうか。既に更生していて、かつての悪行が恥であることを知っている。それを前提に“十手”を渡すのです。荒れている者の気持ちが理解出来る分、不良少年たちをまとめる力は半端ではないはずです。

こういう案には、警察側と暴力団などが結びついたらどうするのか、元暴走族のような人間に指導をやらせて、何かあったら誰が責任を取るのかといった指摘が必ず出ます。勿論、両者が馴れ合いになったら大問題ですし、トラブルは避けねばなりません。心得や仕組みを整える上での知恵が必要になるでしょう。

兎に角、正義の意味とその育て方について、政治はもっと「悶え苦しむ」べきです。悪は叩くのみという教科書通りのやり方では、なかなか根本解決には至りません。理想ではありますが、かつて悪事を働いた者にも再チャレンジのチャンスを与え、悪をも正義の味方に変えてしまうくらいの(ぼんやりした)大きな器量が今の世にも欲しいと思うのです。(続く)