No.86 素敵な美人だと思ったらがっかり、どうして?

美しさはバランスの中にある

さて、多様なものが連係化し、さらに一体化へ進みますと、そこにバランスの取れた美しさが生まれます。自然であれば、空と海、山と谷、森林と湖沼、大地と河川などが形成する美しさ。それが見事であるほど、一段と陰陽の調和が取れております。

バランスが取れているということ、そこに私たちは美しさを感じるのです。絵画や音楽で、これは綺麗であるとか心地いいとか感じる場合、そこには必ずバランスの良さやハーモニーというものがあるはずです。達人の動作が美しいのも、余分な力が抜けていて、丹田を中心にバランスの取れた動きになっているからです。

その調和の高さというものに、正しさの一つの尺度があると思うのです。美しいものに心惹かれ、調和あるもの求めていくのは、人の本性というわけです。

枯れた様子、淡い状態にこそ、趣や味わいがある

しかし、人間は心の動物ですから、外面だけの美しさでは満足が続きません。建物が見事なホテルであっても、心のこもったサービスが無ければリピーターになってくれません。美味しい料理を出せると共に、気配りが行き届いていないと心まで満腹にはならないものです。

大事なことは、外見と内面のバランスです。人間もこれが不均衡だと、呆れられてしまいます。素敵な美人、格好良い美男子と思ったら、性格はあまりにも子供染みており身勝手で自己中心。言葉は乱雑で、口を開けば世の中への不満と人の悪口ばかり。時間の経過と共にメッキは剥がれ、自己成長する様子なんて少しも見られない。考えることは、いつも体面や体裁を整えることのみ、というのでは本当にがっかりです。

五感で一番騙され易いのは視覚です。人間は目で騙されますから、老子は表面的な綺麗さに心奪われないよう強く戒めました。本当の美しさは、心で観なければ分からないところの「拙」や「醜」にこそ潜んでいるものです。

これから伸びていく可能性を持った荒木の、その未完成な状態が美しい。最盛期を過ぎて枯れ始めた様子に、ギラギラしていたときには無かった老成の趣がある。濃すぎることのない淡い状態にこそ、繊細にして深い味わいというものがあると。

そういう侘び(わび)や寂び(さび)に通じる存在には、奥深い調和が伴っています。拙さや醜さの中にさえ、渋味のある美しさがあるのです。そこに気付けるかどうかであり、それによって東洋的感性の有無が測られると言えます。(続く)