No.103 先祖の無念や残念は子孫が晴らす

◇有っても感じないし、感じても影響を受けない◇

『老子』第六十章の本文に戻ります。「(無為自然の)道に従って天下に臨めば、鬼神は祟らなくなる」というところまで解説しました。復習になりますが、道家のいう「道」は天地自然の根本原理のことです。自然の働きに逆らわず、それに順応しつつ、その原理を生かしていくのが道に従うということの意味です。そうすれば、霊魂や先祖霊、精霊、お化け、妖怪などの鬼神に祟られなくなるということでした。

しかし「鬼神の威力が失われたわけでは」ありません。相変わらず有るのです。でも、「人を傷付けなくなる」というのです。自然体でいれば、柳に風の如くで大丈夫であり、意識レベルの高い人は、低念子を寄せ付けなくなります。有っても感じないし、感じても影響を受けないというわけです。

さて、影響を遮断すべきは低念子の話です。高念子については、そのプラスの影響(働き)をどんどん生かしていくのが「道に従う」姿です。周りの人たちが発する高念子や、先人、先祖が残してくれた高念子を、プラスのエネルギーや加護・お陰として存分に頂きましょう。

◇死ねば肉体は終わる。でも念子は残り続ける◇

なぜ先祖供養が大切なのか。これが、意外と分かり難いです。死んでしまったら終わりなのだから、供養なんて全く意味がない。生きている者の気休めでやっているだけだ、という意見があります。あるいは、自分の先祖だけ供養するのはエゴではないか、と批判する人もいます。

確かに、死ねば肉体は終わります。でも、念子は残り続けます。その念子は、特に子孫と同調し易いようです。先祖と子孫は遺伝子でつながっていますから、顔形などの身体的特徴から、特性、性格に至るまで似ています。似ている分、先祖と子孫の念子は同タイプとなりがちで、それで同調し易くなるというわけです。

その同調する働きと、もう一つ重要なつながりがあります。それは、男系で継承されるイクタマ(生魂)の存在です。イクタマは、生命体誕生の「種」であり、生存中の統制力の要となる「命の中心」です。イクタマは精子によって、先祖から子孫へ男系で継承されていくことになります。

そのイクタマを受け取るのが女子の役割となります。生物学的には卵子のことであり、大和言葉ではタルタマ(足魂)といいます。イクタマを受け入れて成長させ、新しい命を孕(はら)み孵(かえ)すための、栄養が満ち足りたカタマリがタルタマなのです。

これら念子やイクタマの働きを前提に、子孫による先祖供養が大切にされてきたのです。

先祖の無念や残念は子孫が晴らす、先祖の志や夢は子孫が受け継ぐ。即ち、低念子は祓い、高念子を養うというのが先祖供養の意味となります。(続く)