No.109 相手を凌ごうという気持ちでは、言葉が低念子になってしまう

◇自分の念子レベルの高さが問われている◇

「鬼神の威力が失われたわけではないのだが、人を傷付けなくなる」という老子の言葉は、神霊の働きや現象が無くなるわけではないが、自然体でいれば傷付けられなくなる。だから、決して恐れないようにという意味でした。

そして「鬼神が人を傷付けないばかりか、聖人もまた人を傷付けない」と。
聖人は非常に立派な人のことで、鬼神と聖人を同列に論じるというのは少々乱暴な気もします。が、どちらも自分の(こちらの)念子レベルを高くしていれば問題ないというのです。

鬼神に対しては、こちらが自然体となって意識レベルを下げないでいれば、低念子につけ込まれることはありません。聖人に対しても、こちらに心の安定があれば、その言葉に乱されたりすることが無いというのです。

◇本当の聖人であれば高念子を発している◇

老子は、賢(さか)しらの人為を嫌いました。いくら相手を思っての忠告であっても、タイミングが悪かったり度を超したりすれば、マイナスに作用してしまいます。

私は正しいが、君は間違っている。とことん注意してやるから、しっかり聞きなさい。そういう傲慢な態度で上からものを言われて、平気でいられる人は少ないものです。言っていることがその通りだとしても、相手を凌ごうという気持ちでいる限り、その言葉は低念子に過ぎません。

本当の聖人であれば、高念子を発しています。愛と調和に満ちた、レベルの高い念子を出しており、人を癒しこそすれ、傷付けるということは基本的にありません。たとえ憤怒の形相で叱ったときでも、根本に慈愛がありますから、相手を損ねることが無いのです。ところが、偉くて賢そうな態度を取る「聖人モドキ」が多いので、老子が率直に指摘したのです。

兎に角(とにかく)こちらが高念子レベルを保っていれば、鬼神と聖人どちらも人を傷付けません。その結果、両者の徳が入り交じって集まり、人々に及んでくることになるのです。全ては、こちらの受け取り方次第というわけです。
(第六十章は終わり。次章に続く)