No.114 もう大丈夫だから気にしないで、きっと上手くいくから安心して

◇道徳には「裁き」が、宗教には「許し」が働く◇

己(おのれ)を律することと、何が正しいかを教える道徳。自分を超越したものを信じ、感謝や祈りの念の大切さを説く宗教。両者は「人の道」を教えるものとして、概ね近い関係にあると思われています。ところが、微妙な違いがあります。

何かの過ちを犯した者がいたとします。その悪人を裁くことで正しい方向に導くのが道徳であるのに対して、彼を許すことで救っていくのが宗教です。道徳には「裁き」が、宗教には「許し」が一般に働くのです。

悪を自覚し、十分悔いていることが前提になりますが、宗教には悪人をも包んでいく懐の深さがあります。「もう大丈夫だから気にしないで」、「きっと上手くいくから安心して」というふうに、慈悲心と愛語で包容していく力があるというわけです。

老子などの道家の教えが、どちらに近いかと問われれば、明らかに後者、則ち宗教に近いと言えます。道家はあくまで思想であって、特定の神や本尊を信仰するわけではないので、宗教そのものではありません。でも、悪人をも許容する心の広さを持っており、分類すれば道徳よりも宗教に近似することになります(なお、孔子などの儒家は道徳にあたります)。

それでは、不善の人をも見捨てないという宗教心が示された、『老子』第六十二章を見てまいりましょう。

◇道は天下の貴きもの◇

《老子・第六十二章》
「(天地自然の原理である)道は万物の根源である。
(道は)善人の宝であると同時に、不善人の保(やす)んずるところでもある。

立派な言葉は、それで利益を得ることが出来るし、尊い行いは、それを人に与えることが出来る。だが、不善の人も(道を保っているのだから)何で見捨てられようか。

よって、天子が立てられ、補弼(ほひつ)の官が置かれるときに、両手で抱えるほどの璧(へき)を四頭だての馬車の先にして(捧げることが)あるものの、いながらにして(万物の根源である)道を贈ることには及ばないのだ。

古(いにしえ)の、この道を貴んできた理由は何か。
それは求めれば(道によって)得られ、罪が有っても(道によって)許されると言うことからではないのか。だから(道は)天下の貴きものなのだ。」

※原文のキーワード
根源…「奥」、保んずる…「保」、立派な言葉…「美言」、それで…「以」、
利益を得る…「市」、出来る…「可」、尊い行い…「尊行」、それを…「以」、
人に与える…「加人」、何で見捨てられようか…「何棄之有」、よって…「故」、
補弼の官…「三公」、両手で抱える…「拱(きょう)」、四頭だての馬車…
「駟馬(しば)」、あるものの…「雖(すい)有」、いながらにして…「坐」、
贈る…「進」、及ばない…「不如」、理由…「所以」、求めれば得られ…「求得」、
罪が有る…「有罪」、許される…「免」、言うことからではないのか…
「不曰~邪」(続く)