No115. 悪人にも、天地自然の原理は必要

◇「陰陽の原理」と「循環の原理」◇

天地自然の、あらゆる物に原理があり、一切の存在には必ず根源がある。
そのことを老子は「道」と呼びました。

原理や根源を掴めば、どんな物事も安定して運ぶことが可能になります。
例えば、実在は二極で成り立っているという「陰陽の原理」があります。
これを知っていれば、何事に対してもバランスを重視し、二元共生を図れるようになります。

あるいは、高調と低調が繰り返すことを教えている「循環の原理」があります。これが分かっていれば、順風のときに我を忘れて上っ調子になったり、逆風のときに過度に落ち込んだりすることを、少なからず避けられるようになるはずです。

また、根源を意識していれば、目の前の現象に右往左往し、ぶれたり的外れになったりすることが少なくなるでしょう。経営の神様である松下幸之助翁は、いつも「根源様」を拝んでいました。根源様とは大宇宙の根本原理のことで、これを意識し自分と大宇宙根源を結ぶことで、経営に私心が入らぬよう戒めたのです。

◇「道」の前では善人・不善人の区別はあり得ない◇

この天地自然の原理であるところの「道」は、「善人の宝」であります。
道を大切にすれば諸事順調に行くのですから、何事も正しくあろうとする善人にとって、貴い宝になるのは当然のことです。

それと「同時に、不善人の保(やす)んずるところでもある」と、老子は説きます。「不善人」というのは、罪を犯したり、悪を働いたりする人のことです。そういう悪人でも、「道」は「保んずるところである」と。

「保」という漢字には、頼みにして安んずるという意味があります。
誰であれ、この世を生きていく上で、天地自然の原理を無視したままでいることは出来ません。悪人の人生においても、善人同様「道」は必要となります。
と言うか、「道」は善悪以前の本源なのですから、そもそも「道」の前では善人・不善人の区別はあり得ないということになります。(続く)