No121 徳というプラスのエネルギーで相手を包めば上手くいく

◇大きい物を小さくまとめて扱う◇

「愚将は小敵を大にす」という山鹿素行の教えを述べましたが、賢将ならその逆に「大敵を小にす」ということになります。「大敵」は、大きな問題のことです。

大きな問題の“巨大さ”に圧倒されないためには、まず相手の全体像を捉えることから始めるのがいいでしょう。最初は見るだけで怯(ひる)んでしまうかも知れませんが、目を逸らさなければ、次第に対処のポイント(何から手を付けたらいいかなど)があぶり出されてきます。

やがて「何のことはない、冷静に見たら一つにまとまった問題に過ぎないではないか。順を追って解決していけばいいだけだ」というような気持ちに至るはずです。そうなればしめたもので、大敵だった相手が小敵に見えてまいります。
どんなことも、そこまで我慢してこそ道は開かれるのです。(反対にポイントを絞り込まれないようにするのが、小が大に勝つための秘訣です)。

何かに取り組んでいて、まだまだ先が長いなと嘆息する場合も同様です。
その道中の景色(プロセス)を楽しんだり、節目を作って達成感を味わったりしながら続けていると、いつの間にかゴールのほうから、こちらに近付いてまいります。

そういうことを老子は「大を小さく、多を少と」せよと言いました。
大きい物を小さくまとめて扱い、多い物を少ない物であるかのように処理しなさいという教訓です。

◇道理によって相手を導こうとした孔子◇

「怨みに報いるに徳を以てする」。これは、相手の怨みに対して、こちらも悪意で仕返しするのではなく、徳行でお返ししなさいという意味の言葉です。よく知られた言葉であり、『論語』の中にも出て来るくらい古くからの教えでした。

ある人が孔子に質問します。「徳で以て怨みに報いるという言葉をどう思われますか」。孔子が答えます。「怨みには道理で対処し、徳には徳で報いなさい」と。

孔子は、単に悪意を我慢しただけでは何にもならないと考えたのでしょう。
怨みという悪意には、筋の通った道理(直)で対応しないと解決にならない。
相手が善意(徳)であってこそ、こちらも善意でお返し出来るものだと、自分の思いを表明したのです。道徳家である孔子の、教化によって相手を善に導こうという姿勢がよく表された一節です。

◇問題は相手が変わるかどうか◇

老子としても、そのまま怨みを放っておこうとしたわけではありません。問題は相手が変わるかどうかです。何かに怨みを抱く人を反省させようとしても、ただ頭ごなしに叱っただけでは逆効果になりがちです。「これだけ忠告したのに、あの人は少しも良くならなかった、もう手の施しようがない」などと嘆くことになり、注意する側の自己満足で終わってしまいます。

そうではなく、徳というプラスのエネルギーを持ちながら、怨みというマイナスのエネルギーを包んでいきなさい。そうでないと相手の意識は変わらず、心が開かれない以上、根本解決にはならないではないかと言おうとしたわけです。「報怨以徳」は、そういう考えの元に述べられた言葉なのです。

現実には孔子の言う「以直報怨」も大事です。文句を言われる一方では、外交にあっては国益を損ねるばかりとなります。摩擦の激しい時代ほど、両方を使い分ける柔軟性が欲しいものと思われます。(続く)