No.131 社員は道具であり、「代わりはいくらでもいる」と物扱い

◇単なる強引な振る舞いを、熱心さと勘違い◇

プラスの余韻を残すべきで、徒(いたずら)に満腹にさせるだけではいけない。単なる強引な振る舞いを熱心さと勘違いしたり、しつこいだけの追究をトドメと取り違えたりしていると、本当に相手の満腹、さらに腹痛を導くだけとなってしまいます。

その大きな理由は、商売なら売上至上主義に煽(あお)られて、売ろうとし過ぎていること。何かの普及活動なら、数字(成績)に囚われて会員や賛同者の獲得を焦り、気持ちが浮き足だっていることにあります。要するに、早く成果を上げて成功したいという、自分中心の欲望が膨らみ過ぎているのです。それで、目の前の相手が見えなくなってしまい、却って警戒されたり、嫌がられたりしてしまうというわけです。

しかも、その商売や活動に「世のため、人のため」という大義名分が付帯している場合、一層真剣になりますから、ときに手に負えなくなる場合もあります。「もう、これしかない!」と自分の信じたことに没入し、催眠術にでも掛かったかのような顔貌(がんぼう)となり、相手どころか自分さえも見えないといった状態に陥るのです。

◇成果を上げた者は心身がボロボロ、脱落者は自信喪失◇

まあ一旦は、そういう「盲目的な発熱状態」という段階も必要であり、そこを経なければ次に進めないというのも事実です。兎に角(とにかく)夢中になって頑張り、いろいろな困難にぶつかって苦労し、ときに痛い目にも遭う。しかし、それに負けないで努力を重ねていく。そうすると、やがて自分の中心軸というものを取り戻せるときがやってきます。そうして自分というものが確立され、やがて本物に育っていくという次第です。

『老子』第六十四章の続きに、「こういうことから聖人は欲望を持たないことを欲す」とありますが、それは今述べた自己中心の欲望を否定している教えと言えるでしょう。個人の欲望を無限に追究する膨張資本主義は、世界中に広まりました。それが人々を幸福にすると信じられてきたのです。ところが、富者も貧者も幸せになれないという歪(いびつ)な世の中をつくってしまいました。

売り上げ至上主義によって、数字を過度に信じ、人をお金で評価する。ひたすらナンバーワンを目指し、同業者は敵と考えて倒そうとする。上場企業であれば株主ばかり大事にし、お客様を騙しても平気。社員は道具であり、「代わりはいくらでもいる」と物扱いされる。膨張資本主義は結局、頑張って成果を上げた者の心身はボロボロに、脱落者は自信喪失にさせるという結末を導いてしまったのです。(続く)