No.132 同業者は同志でもある

◇そもそも「数」は観念に過ぎない◇

数字で示す評価を軽視するわけではありませんが、数値というものは、人を評価する上での指標の一つに過ぎないということも知っておくべきでしょう。哲学的に言えば、そもそも「数」は観念(頭の中で固定化された考え)でしかありません。

自然界にある一切の物は、全て個性別であり、同じものは二つと存在しません。同じ物が無い以上、1、2、3と数えること自体が観念となります。また、一つの物に多数が含まれていたり、二つで一つになっている物があったりするように、数というものほど曖昧なものはないのです。我々は、便宜(べんぎ)的に「数」を用いているということなのです。

今、若い人の中に、数字で表せないものをこそ大切にしようと考える人が増えてきています。数値の評価に縛られてきた、略奪膨張型の旧資本主義経済に疑問を感じてきた人たちです。

実際、金の多寡や地位の高下では人間性を量れませんし、それらは必ずしも幸福の尺度にはなりません。数字も参考とし生かして使うが、その奴隷や盲信者には決してならない。そういう心得が必要になったのです。

◇戦争をモデルにした経営指導法◇

旧資本主義経済は、数字を掲げて「もっと売れ、もっと増やせ」と叫び、対決や競争を煽りました。市場は戦場、同業者は敵(ライバル)と見なし、相手を叩いて一番になることを目標にしたのです。海外、特にアメリカから入ってきた経営指導法の中に戦争をモデルにしたものがあったらしく、攻撃的な経営が日本でも広まりました。

しかし、お客様を相手にする市場は、本当に戦場なのでしょうか。ライバル社のセールスマンと競い合うことからすれば戦場に見えるかも知れませんが、相手にしているのは他社の営業マンではなく、あくまでお客様です。お客様を相手にしている以上、それは戦いではなく、言向け和す(ことむけやはす)ところの「お役立ち活動」のはずです。

昔、実家の近くに釣り道具屋が二軒ありました。間に民家を挟んで、大通り沿いに並んでいました。同じ商売だからライバルとしてケンカ状態にあったかというと、全然そうではなく仲のいい互恵関係にありました。小学生の頃、ときどき釣り竿や釣り針を買いにいきましたが、どちらのご主人も「隣も覗いておいでよ」と言うのです。

二軒あれば、どちらかが開業しているだろうし、両方の店に入ることで満足のいく買い物が出来るということで、かなり遠方からも釣りファンがやって来ていました。

ところが、やがて一方の店が廃業になると、後を追うようにもう一方の店も閉店になりました。大型店が浜松に進出してきたことも原因でしょうが、二店による共存共栄の関係が終わったことが、一番の理由だったのではないかと思われます。同業者は同志でもあったのですね。(続く)