No.135 賢しらの智恵で治めると、国を損なう

◇単なる知識は、ときに人間を不感症にする◇

さらに、単なる知識は、ときに人間を不感症にしてしまいます。何事も(意思伝達の手段としての)言葉を通してしか、情報を感知出来ないという状態に陥って、感性が甚(はなは)だ鈍ってしまうのです。

「賞味期限」などという言葉も一例でしょう。あらゆる食品に賞味期限が付けられたことによって、食べられるかどうかを察知する感覚(嗅覚や味覚)が放棄されてしまいました。

非常に感動したとき、私たちは「言葉に出来ないくらい美しい」とか、「言葉が見つからないくらい嬉しい」などと言います。言葉以前、知識以前に、感動や感激があるからこそ、そういう表現が起こるのです。

綺麗な花を見たら、兎に角(とにかく)美しいし、昇る朝日を見れば、まずその有り難さに感動します。それを、無感動なまま専門用語を駆使して、やれ何科の花だと分類し、太陽の核融合反応とは何々であると分析して一切が終わるようでは、客観や裏観に傾き過ぎていて、少しも面白くないということになります。

物事を的確に把握するには、それを全体的(主観・客観・表観・裏観など)に捉えるということと、その核心(中心軸や原点)をズバリ掴むということが肝腎です。それを助けるために言葉や情報があるはずなのに、部分観に縛られて狭くなってしまうようではいけません。そういうことを教えているのが『老子』第六十五章です。

◇人民は賢くさせるのではなく、愚かにさせよ◇

《老子・第六十五章》
「昔の(天地自然の原理である)道をよく修めた者は、人民を賢くさせるのではなく、愚かにさせようとした。人民を治め難いのは、(賢しらの)智恵が多いからだ。

智恵で以て国を治めようとすれば、国を損なうものとなってしまう。智恵で以て国を治めなければ、国は幸福となる。

これらを知れば、(政治の)原理ともなる。常に原理を知っていれば、それを神秘の徳という。神秘の徳は深くて遠く、(世俗の)物質世界の反対にある。そうなって後、大いなる順応に至るのだ。」

※原文のキーワード
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