No.138 囚われや拘(こだわ)りを超えた、真に自由な世界

◇「賢しらな輩」が国を傾け、国民を苦しめてきた◇

こうして老子の政治原理は、「賢しらの人為」を否定するところにありました。才能と欲望を、可能な限り結ばないよう促したのです。

才能には高低の差があり、欲望には公私の違いがあります。問題は、才能の高い人が私的な欲望を膨らませてしまうところにあります。優秀な者ほど、自分の才能に溺れ、私利私欲に走ってしまうのです。老子が否定しているのは、まさにそこでした。

高い能力と強い欲望。これらが重なった才子は、小賢しい知恵を働かせて仕事を複雑化し、その詳細を独り占めし、自分たちだけが儲かる仕組みを作っていきます。地位や権力を手に入れ、支配構造を確立し、それらを決して手放すまいとするわけです。

結局、そういう「賢しらな輩」が国を傾け、国民を苦しめてきました。「智恵で以て国を治めようとすれば、国を損なうものとなってしまう」のも当然だったのです。

◇「大愚」となって、細々(こまごま)した欲望を超えよ◇

そこで老子は、才ある者に野心を起こさせないよう、賢しらの「智恵で以て国を治めなければ、国は幸福となる」と諭しました。

一番いいのは、才能が公欲に生かされることです。しかし、学問(儒学など)は立身出世のための「世俗の教え」に堕落していました。学問が広がれば広がるほど、能力を自分と一族の繁栄のためにのみ使う人が増えてしまったのです。

老子は、さらに語ります。「これらを知れば、(政治の)原理ともなる。常に原理を知っていれば、それを神秘の徳という」と。「神秘の徳」の原文は「玄徳」です。それは「深くて遠く、(世俗の)物質世界の反対にある」ものです。

世俗の利益は、浅くて目の前にあるものばかりです。それらを、恰(あたか)もゲージの中であくせく動いている小動物のように、ただ闇雲に追い掛けているようでは真の幸福は得られません。

誰もが名利に囚われて汲々としているが、このままではいけない。才ある者、能ある指導者は、「大愚」となって細々(こまごま)した欲望を超えよ。
どうでもいい地位や、結果に過ぎない名誉から己を解き放て。余分な物は持たなくていい。金の奴隷には決してならないようにと。

そして「そうなって後、大いなる順応に至る」ことになります。
「大いなる順応」(大順)は、囚われや拘(こだわ)りを超えた、真に自由な世界のことです。(続く)