No.143 マガツヒを呑み込んで直してしまう力量や器量

◇ナホヒとマガツヒは表裏の関係◇

もっとナホヒを増やして優勢にしなければ…、と述べました。単純に善悪で分ければ、ナホヒが善、マガツヒが悪ですから、ナホヒを多くするのが進化への道となります。でも、マガツヒを敵視すれば済むというものでもありません。これを上手く活用すると、進化に大いに役立つのです。

潔癖性となってナホヒだけ受け付けようとすると、清らかにはなるものの人間味に乏しくなります。向上心や意欲が薄くなって、元氣に乏しい味気ない人になりかねません。

料理に譬(たと)えるなら、マガツヒはワサビやカラシです。適度に使うと、味が引き締まります。主食にしてはいけないが、辛味にはなると考えてみて下さい。

誤解しないで欲しいのですが、ナホヒとマガツヒを、中途半端に混ぜて合わせていいと言っているのではありません。そもそも両者は、表裏の関係にあります。元々ナホヒであったものが、何らかの事情で曲がったり、時や場に合わなくなったりすると、変異してマガツヒになるのです。

我々の感情も、喜怒哀楽の間を、目まぐるしく行ったり来たりしています。
ナホ念子とマガ念子を、交互に出しながら毎日を生きているのであり、実態として両者は切り離せるものではありません。

◇怒りや憤りは、正義を貫くための原点とする◇

マガツヒに相当するマイナスの感情には、怒りや妬み、憤りや悲しみ、邪念や否定観などがあります。これらは、そのままでは障(さわ)りとなりますが、上手く生かすと自己成長への道が開かれます。

怒りや憤りは、正義を貫くための原点とする。妬みや悔しさは、このまま終わってなるものかという啓発心に振り向ける。悲しみや辛さは、愛情や慈悲心に変換する。邪念や否定観は、警戒心や用心深さに生かす、という具合です。我欲からくるマガツヒも、私欲を公欲に、自利を利他に高めれば、一段とパワーアップしたナホヒとなって、進歩の原動力になるでしょう。

人間は神と悪魔の中間に生きているのであり、その不完全さがまた人間の魅力とも言えます。ですから、ナホヒを基本に据えながらも、マガツヒを呑み込んで直してしまう力量や器量が欲しいというわけです。

赤裸々な現実を表すことで成り立つ文学(小説など)も、ナオ念子とマガ念子の双方を取り入れながら創作しています。この世の理想と矛盾、人間の気高さと愚かさの間に、想像力の源泉があるのです。

そうして、同調する念子レベルの幅を広げれば、作品の深みが増します。
その上で、人間を癒したり励ましたりするのが、文学の大切な役割ではないかと思われます。(続く)