No.146 「量子論」と念子

◇先祖から自分、自分から子孫へと続く血筋は、生まれ変わりの基本軸◇

守護霊の話ですが、自分を守ってくれる念子の出所(でどころ)として、一番大切な存在はご先祖だと思います。登山で遭難して死にそうになったとき、「こっちへ逃げろ」と先祖が囁いてくれ、その誘導で助かった。臨死体験の中、先祖が「まだ来てはいけない」と止めてくれたお陰で蘇生出来た、などという不思議な話が数多くあります。

先祖の特質が遺伝によって子孫に受け継がれていくということもあり、先祖の念子を最も受け易い立場にいるのが子孫なのでしょう。先祖から自分、自分から子孫へと続いていく血筋(チスヂ)にこそ、生まれ変わりの基本軸があると考えられます。先祖供養(慰霊と感謝)が大切な所以(ゆえん)です。

いわゆる生まれ変わりについて一言添えておきます。過去生では武士だったとか、前世では神官だったとかいう話をよく耳にします。筆者は、そういう話は、念子を通して有り得る現象だと考えています。

簡単に言えば、こういうことです。武士だった人や神官だった人が残した念子に感応する。それを吸収することによって、自分の中にその人が念子体として“再現”される。そして、自分の身体を通して“武士”や“神官”が語り出し、自分の知らないことを喋ることになると。過去生や前世、生まれ変わりなどは、そういう仕組みで起こっているのではないかと想像します。

過去生を語る例は、圧倒的に子供に多いそうです。子供が話す“生まれる前の生活や環境”を調べてみたら、本当にその通りだったという話は世界中にあるそうです。でも、“生まれる前の記憶”を話すのは子供の頃までで、大人になると自然に忘れてしまうとのこと。小さい子供は囚われの心がないから、いろいろな念子と同調し易いが、成長するに従って知識や分別心が邪魔をして感受性が鈍くなるということでしょう。

◇非科学と未科学を混同してはいけない◇

念子や念子体という考え方は、現在の科学では証明されていなということは百も承知しています。妖しげな話と思われた方もいらっしゃることでしょう。

でも筆者は、非科学と未科学を混同してはいけないと思っています。明らかな迷信は非科学として排除すべきですが、現在の科学で解明されない現象だからといって、頭ごなしに否定してはいけない。それは、今後の科学の発達を待つべき未科学であると。

最新科学の一つに、「量子論」があります。この研究が進めば、量子の一つとして念子が認められる日が来るのではないかと期待しています。量子は、素粒子・電子・光子など、最も小さな粒子とされているもので、それらは粒子の性質と波動の性質の両方を持っています。

粒子のようでもあり波動のようでもあるという量子の世界は、これらを観測しようとすると、観測者の「観測しようという意識」が対象に影響してしまって、客観的な観測は不可能となります。極めて微細な世界では、意志や意識が強く働いてしまうというわけです。

また、量子には「量子もつれ」という現象があります。離れている量子同士が、つながり合って情報を交換するというのです。誰かが発した(残した)念子と自分(の念子レベル)が同調するというのは、「量子もつれ」ならぬ「念子もつれ」という作用ではないでしょうか。

遠隔地で起こった出来事を察知するとか、将来を予知するといった能力も「量子もつれ」で説明可能となるかも知れません。時空を超えて「念子が飛ぶ」という現象です。達人は、明らかにこの能力を駆使しています。(続く)