No.147 人間は個々バラバラではない

◇個体の終わりが、どこにあるのか分からない…◇

念子の存在が分かりますと、人間は個々バラバラではないということが見えてまいります。個の確立や個人主義という考え方は、人の尊厳を守り、自立した人間を育てる上でとても重要ですが、その一方で、人と人のつながりや絆(きづな)を薄れさせてはなりません。

隣人や同志との互恵関係や、先祖から自分、自分から子孫へと続くタテイトが大切なのです。人間は、関わり合いや連続性の中で生きているのであり、忽然(こつぜん)と現れたのではなく、誰もが他者と密接な関係の中で存在しております。

人間以外の生物を見ると、自他の境界は、人間のそれに比べてずっと曖昧な状態にあります。植物も動物も、仲間(群れ)が生き残ることや、子孫を育てることに一所懸命です。植物では、枯れて倒れた老木の株から新芽が出てくるなど、個体の終わりがどこにあるのか分からない場合が随分あります。

動物になると植物よりも個がハッキリしており、オス同士がメスを奪い合ったり、獲物を獲り合ったりもします。それでも人間のように、破滅的に殺し合うとか、種(しゅ)全体を滅亡させかねない事態に至っても平気ということはありません。仲間を維持・生存させることを、本能的に忘れないのです。

◇念子は、つながりや関わりの基になっている◇

心の動物である人間になりますと、「自分という意識」を明瞭に持って生きています。自我によって生きていくよう宿命付けられているとも言えます。その自意識が行き過ぎたときに、動物にすらない自己中心的な生き方に陥ってしまうということでしょう。

しかし人間は、動物にはない大きな「場」に生きることが出来ます。地球の裏側、さらに宇宙にまで広がる空間把握と、過去や未来を認識することで、限り無く長い時間軸を持つことが可能なのです。

それを素直に伸ばしていけば、自分と他者はつながっており、時空を超えて一体となった仲間(人類体)の中に存在しているという事実を自覚出来るようになります。既にこの世を去った人から、まだ生まれていない将来世代の人々に至るまで、自分はそれらの他者と結ばれているのです。そのつながりや関わりの基になっているのが、心の動物である人間にあっては念子ではないかと思う次第です。

◇達人の能力は、念子によって解明されるだろう◇

武道の達人は、見えない殺気を感じ取ります。ベテランの刑事は、ピーンとくる勘で犯人を捕らえます。物づくりに熟練した職人は、常人には不可能な感覚で欠陥品を選り分けます。氣を察するという能力であり、「氣」と念子は大変近い関係にあるのでしょう。

既に述べた取り、絵画や音楽、文学などの分野で天才的な創造力を発揮する場合、まず間違いなく念子を働かせています。達人の能力を解明したり高めたりする上で、念子という捉え方は欠かせないと考えます。(「東洋的達人の研究」の連載を終わります)