No.2 背伸びせず、どっしりと構え、常にへりくだって生きる

◇本当の力強さは、力を抜いたときに発揮される◇

小学生の頃、ソフトボールに熱心だった時期がある。上手くはないが好きであり、同級生や近所の子供たちと一緒にチームを作ったこともある。

中学校では殆どやらなかったが、高校一年生のとき、不思議なホームランを打ったことがある。バットを軽く振っただけで、全くボールに当てた感触が無い。なのに、ボールは大きな弧を描いて飛んでいき、外野手のはるか後方に消えていった。

力を加えたという手応えは無いし、カーンと来る打撃の感覚も起きなかった。抵抗感はゼロ。ストンと斬り落としたような感じだった。そういう感触のホームランは、後にも先にも、そのとき一度きりである。

その時期、筆者は柔道部に所属していた。武道の稽古を始めたことにより、重心を下げて肩の力を抜くことや、腰を中心に動作するコツといったものを、いくらか掴んできていた頃だ。それが、大ホームランにつながったのだろうと思う。

その後、中年になって合気道をするようになってから、力を抜いた状態が一番強いということが、一段と分かってきた。合気道は、相手に逆らうということがない。相手の力を、そのまま利用して投げるのだ。

ソフトボールの大飛球の謎が、武道を通して理解されていったのである。無理矢理打ち返そうとしてボールに対抗するのではなく、反発力に変えられるよう素直に打つことが肝腎なのだろうと。本当の力強さは、(意外にも)力を抜いたときに発揮されるというわけである。

◇器を大きくすることで、こちらが大河や大海となれ◇

重心を下げ、力を抜くことで却って強くなる。そういう現象は人生にもある。

背伸びしないで、どっしりと構え、常にへりくだっている。そういう人のほうが、出世を焦り、浮ついて利に振り回されている人よりも、長い目で見て案外上を行くものだ。原点を忘れず、大局を見失わず、ぶれることなく己を磨き続けていることが前提であることは勿論だが。

老子は「揚子江や大海が百谷の王である理由は、しっかりと下に位置しているからだ。それでよく百谷の王となっている」と述べた。大河や大海は下に位置している。下にいるから、多くの谷川や急流に逆らうことがない。それで、無限の水を集めてしまうことになると。

知識の豊富な人や能力の高い人は、自分にとって谷川のような存在ではないか。それらと単純に対決しても意味はない。器を大きくすることで、こちらが大河や大海になり、全てを味方に変えていくほうがいいというのが老子の教えだ。

『葉隠』にも「徳のある人は、ゆったりしていて忙しそうでない。つまらない人ほど騒がしく、周囲に当たり散らしては、がたつき回っている」と書かれている(聞書第二)。徳のある人は腰が低く、優秀な「谷川」を沢山集めている。手綱を握ってさえいれば、彼ら・彼女らに任せるほど上手く行く。それで、ゆったりと落ち着いていられることになるのであろう。(続く)