No.4 どこから見てもアホ。それが大人物というものの性格

◇大人物は、特定の知識や能力、才覚でのみ世に立つ人ではない◇

あまりにも大きい人物は、賢者なのか愚者なのか、なかなか見当が付きません。うっかり大人物を部下に持てば、何かの役を任せようにも相応しい場所が見つからず、使いようがなくて持て余すことになります。

大人物は、特定の知識や能力、才覚のみで世に立つ人ではありません。
天につながる運気(天運)とか、持って生まれた使命(天命)とか、余人を以て代え難い人間的魅力であるとかいった、本人を超えたところにある力と働きによって、大きなものを背負って生きていくことになる人です。部材に終わることなく、原木や荒木(樸)のままを失わないで生きていく人というわけです。

我々にとって、自分の力量以下の人間を評価することは容易(たやす)いのですが、自分以上の相手となると、たちどころに分かり難くなります。いわんや掴み所が無いほどの豪傑になると、ただの愚か者にしか見えません。考えていることが途方もなく巨大で、感じることがどこまでも世間とかけ離れ、誰もが欲しがる地位や名誉、金銭に全然釣られない。どこから見てもアホ。それが大人物というものの性格でしょう。

老子もそういう人物でしたから、回りから愚か者扱いされていたようです。
『老子』第六十七章に、そういう話が出ています。

◇一に慈愛、二に倹約、三に自分から天下の先に立たず◇

《老子・第六十七章》
「天下の皆が、私の説く道は、大きいが愚かに見えると言う。
ただ大きいから、それで愚かに見えるのだ。
もし(儒家と)似ていれば、とっくに小さなものになっていただろう。

私には三宝があり、しっかり持ってこれらを守っている。
一に慈愛、二に倹約、三に自分から天下の先(さき)に立たないということだ。
慈愛があるから勇気が湧く。倹約しているから広く施すことが出来る。
自分から天下の先に立たないから、才器の長と成るのだ。

今、慈愛を捨てて勇者になろうとし、倹約を捨てて広く施そうとし、
人後に回ることを捨てて先頭に立とうとすれば、死滅あるのみとなる。

慈愛を以て戦えば則ち勝ち、守れば則ち固し。
天がまさにその者を救おうとすれば、慈愛で以て衛るのである。」

※原文のキーワード
私の説く道…「我道」、愚か…「不肖」、見える…「似」、言う…「謂」、
もし…「若」、似ている…「肖」、とっくに…「久」、小さなもの…「細」、
私…「我」、しっかり持つ…「持」、守る…「保」、慈愛…「慈」、倹約…「倹」、
自分から立たない…「不敢為」、天下の先…「先」、勇気が湧く…「能勇」、
広く施すことが出来る…「能広」、才器…「器」、捨てる…「舎」、
人後に回る…「後」、先頭に立つ…「先」、死滅…「死」、まさに…「将」、
その者…「之」、   (続く)