No.5 大きな考えは愚かに見える

◇目を丸くした面接担当者◇

世の中の多くの人が、「老子は大きいことを言っているが、愚かであって役に立たない」と言いました。それに対して老子は、「大きな考えは愚かに見えるものだ」と応じました。

ひょっとして、老子はすねていたのかも知れません。俺の思想は、分かる人にだけ分かればいいという開き直りを感じるのです。

愚かといえば、筆者は松下幸之助翁から「アホでもかまへんから採っておくように」と言われた男であり、経営の神様から太鼓判を押された愚人です。この松下塾長の鶴の一声で、筆者は松下政経塾(第一期)に合格出来たのでした。

思い起こせば、塾の二次試験のとき、面接担当者の塾職員から「君は、本塾が無かったらどうしましたか」という質問を受けました。筆者はとっさに「そうであれば、自分で政経塾を起こしました」と答えました。日本を変え、人類の危機を救うのが松下政経塾の使命なのだから、この塾が無ければ世界が困る。ならば自分で起こすしかないと思ったのです。

質問の意味は、「松下政経塾を志望しない場合、あなたの就職希望先はどこですか」というものだったということは、後で気が付きました。「こんな答をする受験者は初めてだ」と思われたのか、面接担当者は目を丸くしていました。

◇「俺の大きさは、松下幸之助くらいの眼力でなければ見えないさ」◇

松下幸之助翁との面接は、三次試験になってからでした。二次試験のときと同じく、茅ヶ崎の松下政経塾に到着し、控室に入りました。そうしたら、筆者以外の全員が、いわゆるダーク系のリクルートスーツ姿できちんと座っているではないですか。

筆者はというと、イエローの半袖シャツに茶色のスラックス、ニットのネクタイ(下側が三角ではなく横一文字になっているカジュアルなもの)という極めてラフな格好でした。

政経塾は梁山泊のような豪傑が集まるところだから、服装は何でもありのはず。鎧兜は大袈裟だとしても、着物姿や戦闘服、軍服程度なら決しておかしくはない。それに比べれば、自分くらい地味で、きちっとした服装の者はいないだろうと思っていたくらいです。

そんな風ですから、「松下相談役は、何でまたこんな青年を合格にしたのだろう」と、職員全員が首を傾げていたようです。他のエリート青年たちのような常識を、殆ど持っていないと。

筆者は「俺の大きさは、松下幸之助くらいの眼力でなければ見えないさ」と、まさに開き直っていました。兎に角(とにかく)、松下幸之助という人が塾長でなかったら、筆者のような変人は決して入塾出来なかったでしょう。

今、自分で「林英臣政経塾」を起こしたところ、志士政治家が沢山育ってきました。「林が塾長でなければ入りませんでした」と言ってくれる変人、いや傑物がいることに苦笑する毎日です。(続く)